私の実家…今は東京にあるけれど、私の祖父の代までは長崎の浦上天主堂のすぐ近くにあり、原爆投下前まではお城みたいに随分大きな家…造り酒屋だったそうです。祖父は本家の長男だったので先代当主である祖父の祖父が亡くなってからは事実上当主になり、ある意味絶対的存在。母が嫁いで来てからも親戚筋が結婚する許可を貰いにきたりしたことがあったそうです。
大きな家だったんだなぁと実感したのはお墓を東京に移した時。
2m近くある本家の昔ながらの墓石のすぐ隣にその半分位の分家の墓があり、その周辺には同じ字や異なる字の同じ読み方の小さい(普通サイズ)お墓がたくさんありました。
本家の墓からは今では珍しい土葬の甕棺も出てきて、「本物の骨格標本~♪」と言いながら皆で並べていました。
そういえば、私自身外見も祖父に似ているらしく、祖母達と親戚筋に初めて会った時も名乗る前から皆が一目見て
『本家の当主様によく似たお孫様』
と口々にしていたのですが、祖母や父には勿論、まだ子供だった姉や私にも滞在中敬語を崩されることは一度たりともありませんでした。
長崎には祖父の親戚や姉弟妹が多かったのですが、原爆で何人も亡くなっています。
昼食と呼ばれた双子の弟さんの片方が家の中に入った直後に原爆が投下され、もう1人は外で被爆して亡くなったと聞いています。
遺骨は、骨壺がなく家の辺りに落ちていた割れた茶碗に入れてそのままお墓に入れたようで、お墓を移す時に掘り起こした際に茶碗ごと出てきました。
当初投下目標とされていた小倉にも多くの親族がいたそうで、祖父としては心中複雑だったかもしれません。
今はもう長崎から離れている上祖父は他界しているので、実際に見て感じたこと以外は謎になってしまっているので
時間に余裕が出来たら色々調べてみたいと思っています。