野水重明「ツインバードのものづくり」を読んで① | 昔のテレビ番組や日商簿記1級などの雑記

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昔のテレビ番組が大好きな、日商簿記1級浪人生の映像所有者の雑記です。

【書名】ツインバードのものづくり

【著者】野水重明

【発行日】2022年10月13日
【出版社等】発行:プレジデント社

 

【学んだ所】

ツインバードが世界的メーカーになれた3つの理由

  1. 下請け企業から脱却したこと下請け企業をやめる決断をした
  2. 時代の変化をとらえて大きな事業転換をしたこと時代の変化に対応してその都度、大きくビジネスモデルを変えてきた
  3. 世界に誇る技術を持つ燕三条という立地だったこと世界に誇る燕三条地域の技術を活用できた

すべての起点はお客さまの声にあるすべての製品はお客さまの声から生まれた

(昭和の)家電メーカーのビジネスモデルは、良いものをより安く、そして1人でも多くのお客さまにお届けするというものだった。これが、当時の勝ちパターンであり、人・モノ・金というリソースを多く持つ大手企業が有利な時代だった。⇒大手メーカーが次々と世に送り出す家電製品の普及によって、生活は便利で豊かなものへと変わっていった⇒当時は、日本の家電製品は国内のみならず欧米を含めた世界中で評価されていた。ところが、バブル崩壊後のいわゆる失われた30年を経て、世界をリードしていた日本の家電メーカーが次々と業績低迷に直面した。世界の中での日本の地位は一変した

日本の地位が大きく変わっていった要因

  1. 少子化による人口減少日本の人口は2008年をピークに減少に転じた。一方、家電製品の普及率はすでに9割に達していた。つくれば売れるというわけにはいかなくなる
  2. 生活者の意識も大きく変化した現在では、個が尊重されるようになり、ニーズの多様化が進み、まさにダイバーシティの時代になった。

大量生産・大量販売の時代は終焉を迎え、ニーズの多様化にフィットできる独自性のあるを市場を創造することが求められている。=これにより中小家電メーカーにも大きくチャンスが到来している。

商品開発と製造、販売を止めてしまうと、完全にビジネスが止まってしまう

会社がどんなに厳しい状況でも、あきらめずに行動し続けると道は開ける

新潟県燕三条地域は、戦後は、江戸時代から培ってきた金属加工技術をベースに、洋食器などさまざまな商品へと派生した。⇒燕三条地域には、2000~3000の金属加工の工場がある。燕三条地域には、金属加工のあらゆる工程の工場が集積しているため、全国屈指の金属加工のものづくりの町と言われている。燕三条地域の技術があるからこそ、世界で通用する高品質の製品をスピーディーに生み出せる

戦後、洋食器をつくってきた燕三条地域は、海外輸出で栄えた。⇒昭和40~50年代にかけて、燕三条地域の洋食器はヨーロッパのものより安価だということで、主に中東で人気だった。この地域全体が輸出で潤ってきた背景もあり、昭和の時代からグローバルな感覚が根づいている

製品ありきのプロダクトアウトではなく、お客さまありきのマーケットインで開発

今はモノ余りコト不足の時代だといわれている。しかし、人はモノがなければ生活できない。=完全にモノがなくなることはない。⇒そして、家電製品の進化が止まってしまうことは絶対にない。⇒ライフスタイルが時代とともに変わるにつれて、人間の「不」の解消のニーズも変わっていく。⇒だから、家電製品の変革が止まってしまうことはない。人間の欲望に終わりはない

お客さまの生活をつぶさに見ながらの解消という視点で生活者に寄り添った付加価値を創造していけば、新たな市場を開拓する商品開発ができる。=これは、家電メーカーが持つ大きな力コトやトキの価値を創造するモノの開発に力を注ぐ時代になった

あくまでも、品質第一を貫き、耐久性や信頼性の高い製品をつくるのが製造業の原点。⇒しかし、そのハードを通して感動していただきたい、便利になっていただきたい、幸せを感じていただきたい。ハードメーカーではありながら、やはりコトやトキの価値、体験価値、情緒価値といったものを創造していくことが大事。

ツインバードは、開発力やスピードがあるので、6~7割いけると思ったら、品質第一で開発する。⇒そして、市場にその答えを求めるそれがお客様のニーズにフィットしていたら、結果として売り上げや利益になって自分たちに返ってくる。⇒それが、体験価値を提供できたかどうかの物差しになる。