【書名】道をひらく
【著者】松下幸之助
【発行日】1968年5月1日
【出版社等】発行:PHP研究所
【学んだ所】
・道:自分には与えられた道がある。天与の尊い道がある。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。
・素直に生きる:逆境-それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯にきたえられてきた人はまことに強靭である。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。⇒素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む。素直さは人を強く正しく聡明にする。
・志を立てよう:本気になって、真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。
・日々是新:心があらたまったとき、それはいつでもおめでたい。
・視野を広く:世の中は広い。その広い世の中を、狭い視野ですすめば行きづまる。人生は長い。その長い人生を、狭い視野で歩めば息が切れる。視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。だから、おたがいの繁栄のために、おたがいの視野の角度を、グングン広げなければならない。
・心の鏡:鏡は正直である。ありのままの姿を、ありのままにそこに映し出す。身なりは正せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。だから、人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが、けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随処にある。自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心につがっているのである。
・なぜ:日に新たであるためには、いつもなぜと問わねばならぬ。そしてその答を、自分で考え、また他にも教えを求める。繁栄はなぜと問うところから生まれてくるのである。
・本領を生かす:完全無欠をのぞむのは、人間の一つの理想でもあり、またねがいでもある。だがしかし、人間に完全無欠ということが本来あるのであろうか。この大自然はすべて、個々には完全無欠でなくとも、それぞれの適性のなかでその本領を生かし、たがいに与えられつつ、大きな調和のなかに美とゆたかさを生み出しているのである。人もまた同じ。おたがいそれぞれに完全無欠でなくとも、それぞれ適性のなかで、精いっぱいその本領を生かすことを心がければ、大きな調和のもとに自他ともの幸福が生み出されてくる。この素直な理解があれば、おのずから謙虚な気持ちも生まれてくるし、人をゆるす心も生まれてくる。そして、たがいに足らざるを補い合うという協力の姿も生まれてくるであろう。繁栄の原理はきわめて素直である。
・縁あって:人と人とのつながりには、実は人間のいわゆる個人的な意志や希望を越えた、一つの深い縁の力が働いているのである。そうだとすれば、おたがいにこの世における人と人とのつながりを、もうすこし大事にしてみたい。もうすこしありがたく考えたい。不平や不満で心を暗くする前に、縁のあったことを謙虚に喜びあい、その喜びの心で、誠意と熱意をもって、おたがいのつながりをさらに強めてゆきたい。そこから、暗黒をも光明に変えるぐらいの、力強い働きが生まれてくるであろう。
・サービスする心:与え与えられるのが、この世の理法である。すなわち、自分の持てるものを他に与えることによって、それにふさわしいものを他から受けるのである。これで世の中は成り立っている。与えるというのは、わかりやすくいえば、サービスするということである。自分の持っているもので、世の中の人びとに精いっぱいのサービスをすることである。サービスのいい社会は、みんなが多く与え合っている社会で、だからみんなが身も心もゆたかになる。
・長所と短所:この協同生活を円滑に進めるためには、いろいろの心くばりが必要だけれども、なかでも大事なことは、おたがいにまわりの人の長所と欠点とを、素直な心でよく理解しておくということである。そしてその長所を、できるかぎり発揮させてあげるように、またその短所をできるかぎり補ってあげるように、暖かい心で最善の心くばりをするということである。
・生かし合う:人間の生命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。ところが、自分の生命は尊いことはわかっても、他人の生命もまた尊いことは忘れがちである。ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ。しかし、これではほんとうに、おたがい相互の繁栄は生まれないであろう。人間本来の姿は生かされないであろう。⇒やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手を立てる。自己を去って相手を生かす。そうした考えにも立ってみなければならない。そこに相手も生き、自己も生きる力強い繁栄の姿がある。尊い人間の姿がある。⇒自己を捨てることによってまず相手が生きる。その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる。これはいわば双方の生かし合いではなかろうか。そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる。
・判断と実行と:どんな仕事でも、仕事をやるからには判断が先立つ。判断を誤れば、せっかくの労も実を結ばないことになろう。おたがい人間としては、せいぜいが60パーセントというところ。60パーセントの見通しと確信ができたならば、その判断はおおむね妥当とみるべきであろう。そのあとは、勇気である。実行力である。いかに適確な判断をしても、それをなしとげる勇気と実行力とがなかったなら、その判断は何の意味も持たない。勇気と実行力とが、60パーセントの判断で、100パーセントの確実な成果を生み出してゆくのである。
・自問自答:自分のしたことを、他の人びとが評価する。さまざまな見方があって、さまざまの評価である。一喜一憂は人の世の習い。賛否いずれも、ありがたいわが身の戒めと受け取りたい。⇒だがしかし、やっぱり大事なことは、他人の評価もさることながら、まず自分で自分を評価するということである。自分のしたことが、本当に正しかったかどうか、その考え、そのふるまいにほんとうに誤りがなかったかどうか、素直に正しく自己評価するということである。そのためには、素直な自問自答を、くりかえし行わなければならない。みずからに問いつつ、みずから答える。これは決して容易でない。安易な心がまえで、できることではないのである。しかし、そこから真の勇気がわく。真の知恵もわいてくる。
・根気よく:どんなよいことでも、一挙に事が成るということはまずあり得ない。また一挙に事を決するということを行なえば、必ずどこかにムリを生じてくる。すべて事は、一歩一歩成就するということが望ましいのである。⇒だから、それがよいことであればあるほど、そしてそれが正しいと思えば思うほど、まず何よりも辛抱強く、根気よく事をつづけてゆく心がまえが必要であろう。⇒だから、いかに正しいと思うことでも、その正しさにとらわれて、いたずらに事をいそぎ、他を誹謗するに急であってはならない。⇒みずからの正誤を世に問うためにも、まずは辛抱強く、根気よく事をすすめてゆくという謙虚な姿がほしいのである。
・時を待つ心:何ごとをなすにも時というものがある。時、それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。⇒大自然の恵みを心から信じ、時の来るのを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
・仕事というものは:仕事というものは勝負である。一刻一瞬が勝負である。⇒まず普通の仕事ならば、ちょっとした怠りや失敗があったとしても、別に命を失うというほどのことはない。それでも、ともかく日が暮れて、その日の仕事はまず終わる。だから、つい気がゆるむ。油断する。しかし、これではいい知恵はうかばない。創意も生まれなければ、くふうも生まれない。そして、何の緊張もないかわりに、何の喜びもないということになる。⇒わが国の情勢は、世界の動きとともに今や刻々と変わりつつある。一刻の油断もならぬ状態におかれている。このときにこそ、勝負する大勇気をもって仕事にあたらねば、それこそ真の繁栄は生まれないであろう。
・一人の知恵:おたがいに神さまではないのだから、一人の知恵には限りがある。わからないことは聞くことである。知らないことはたずねることである。たとえわかっていると思うことでも、もう一度、人にきいてみることである。相手がどんな人であろうと、こちらに謙虚な気持ちがあるならば、思わぬ知恵が与えられる。つまり一人の知恵が二人の知恵になるのである。
・一陽来復:ひろい世の中、長い人生、いつも心楽しいばかりではない。ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。しかし、それもまたよし。悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、窮境に立って、はじめて世間の味わいを学びとることができるのである。⇒頭で知ることも大事だが、身をもって知るということが何よりも大事。⇒窮境に立つということは、身をもって知る尊いチャンスではあるまいか。そう考えれば、苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。思い直した心のなかに新しい知恵がわいて出る。そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復、暗雲に一すじの陽がさしこんで、再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。
・自分の仕事:どんな仕事でも、それが世の中に必要となればこそ成り立つので、世の中の人びとが求めているのでなければ、その仕事は成り立つものではない。⇒だから、自分の仕事は、自分がやっている自分の仕事だと思うのはとんでもないことで、ほんとうは世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのである。ここに仕事の意義がある。⇒仕事が伸びるか伸びないかは、世の中がきめてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。⇒大切なことは、世の中にやらせてもらっているこの仕事を、誠実に謙虚に、そして熱心にやることである。世の中の求めに、精いっぱいこたえることである。
・働き方のくふう:額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。⇒人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。⇒働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。
・けじめが大事:何ごとをするにも、けじめがいちばん大切で、けじめのない暮らしはだらしがない。暮らしがだらしなければ働けない。よい知恵も生まれないし、ものも失う。商売も同じこと。経営も同じこと。けじめをつけない経営は、いつかはどこかで破綻する。⇒だからつねひごろから、小さいことにもけじめをつけて、キチンとした心がけを持ちたいもの。そのためには何と言っても躾が大事。平生から、しっかりした躾を身につけておかなければならない。自分の身のためにも、世の中に迷惑をかけないためにも。
・引きつける:やっぱりいちばん大事なことは、誠実あふれる熱意ではあるまいか。たとえ知識乏しく、才能が劣っていても、なんとかしてこの仕事をやりとげよう、なんとしてでもこの仕事をやりとげたい、そういう誠実な熱意にあふれていたならば、そこから必ずよい仕事が生まれてくる。⇒その人の手によって直接にできなくても、その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然に周囲の人を引きつける。磁石が鉄を引きつけるように、思わぬ加勢を引き寄せる。そこから仕事ができてくる。人の助けで、できてくる。
・見方を変える:時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。一つの道に執すればムリが出る。ムリを通そうとするとゆきづまる。動かない山を動かそうとするからである。そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、またそこに新しい道がひらけてくる。⇒何ごともゆきづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にもう一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。そして、ゆきづまったと言う。ゆきづまらないまでもムリをしている。貧困はこんなところから生まれる。⇒われわれはもっと自在でありたい。自在にものの見方を変える心の広さを持ちたい。何ごとも一つに執すれば言行公正を欠く。深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。それで悪ければ、また見方を変えればよい。そのうちに、本当に正しい道がわかってくる。模索のほんとうの意味はここにある。そしてこれができる人には、ゆきづまりはない。
・商売の尊さ:商売というものは、暮らしを高め、日々をゆたかに便利にするために、世間の人が求めているものを、精いっぱいのサービスをこめて提供してゆくのである。だからこそ、それが不当な値段でないかぎり、人びとに喜んで受け入れられ、それにふさわしい報酬も得られるはずである。
・大事なこと:勝負というものには、勝ち負けのほかに、勝ち方、負け方というその内容が大きな問題となるのである。⇒事業の経営においても、これと全く同じこと。その事業が、どんなに大きくとも、また小さくとも、それが事業であるかぎり何らかの成果をあげなければならず、そのためにみんなが懸命な努力をつづけるわけであるけれども、ただ成果をあげさえすればいいんだというわけで、他の迷惑もかえりみず、しゃにむ進むということであれば、その事業は社会的に何らの存在意義も持たないことになる。だから、事業の場合も、やっぱりその成果の内容―つまり、いかに正しい方法で成果をあげるかということが、大きな問題になるわけである。
・何でもないこと:何事においても反省検討の必要なことは、今さらいうまでもないが、商売においては、特にこれが大事である。⇒何でもないことだが、この何でもないことが何でもなくやれるには、やはりかなりの修練が要るのである。
・敵に教えられる:己が正しいと思いこめば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる。己が正義で、相手は不正義なのである。いわば敵なのである。だから憎くなる。倒したくなる。絶滅したくなる。⇒人間の情としては、これもまたやむを得ないかもしれないけれど、われわれは、わがさまだけとばかり思いこんでいるその相手からも、実はいろいろの益を得ているのである。⇒相手がこうするから、自分はこうしよう、こうやってくるから、こう対抗しようと、あれこれ知恵をしぼって考える。そしてしだいに進歩する。⇒自分が自分でかんがえているようだけれど、実は相手に教えられているのである。相手の刺激で、わが知恵をしぼっているのである。敵に教えられているとでもいうのであろうか。⇒倒すだけが能ではない。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。だからむしろその対立は対立のままにみとめて、たがいに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである。⇒それが自然の理というものである。共存の理というものである。そしてそれが繁栄の理なのである。
・熱意をもって:人に熱意がなかったら、経営の、そして仕事の神秘さは消え失せる。⇒何としても二階に上がりたい。どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかす。階段をつくりあげる。上がっても上がらなくても......そう考えている人の頭からは、ハシゴが出てこない。⇒才能がハシゴをつくるのではない。やはり熱意である。経営とは、仕事とは、たとえばこんなものである。
・同じ金でも:同じ金でも、アセ水たらして得た金ならば、そうたやすくは使えない。使うにしても真剣である。慎重である。だから金の値打ちがそのまま光る。⇒金は天下のまわりもの。自分の金といっても、たまたまその時、自分が持っているというだけで、所詮は天下国家の金である。その金を値打ちもなしに使うということは、いわば天下国家の財宝を意義なく失ったに等しい。⇒金の値打ちを生かして使うということは、国家社会にたいするおたがい社会人の一つの大きな責任である。義務である。そのためには、やはり、自分のアセ水をたらして、自分の働きでもうけねばならぬ。自分のヒタイのアセがにじみ出ていないような金は、もらってはならぬ。借りてはならぬ。
・追求する:人が人に事を命じる。指示する。頼む。しかし、命じっ放し、指示しっ放し、頼みっ放しでは、何の意味もない。何の成果もあがらない。⇒命じたからには、これを追求しなければならぬ。どこまでもトコトン追求しなければならぬ。それが命じた者の責任ある態度というものであろう。
・わが身につながる:人と人とが相寄って暮らしているこの世の中、どんなことに対しても、自分は全く無関係、自分は全く無責任、そんなことはあり得ない。一見何の関係もなさそうなことでも、まわりまわってわが身につながる。つながるかぎり、それぞれに深い自己反省と強い責任感が生まれなければならないであろう。⇒すべてを他人のせいにしてしまいたいのは、人情の常ではあろうけれども、それは実に勇気なき姿である。心弱き姿である。そんな人びとばかりの社会には、自他ともの真の繁栄も真の平和も生まれない。
・教えなければ:教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。教えるということは、後輩に対する先輩の、人間としての大事なつとめなのである。⇒教えることに、もっと熱意を持ちたい。そして、教えられることに、もっと謙虚でありたい。教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。
・身につまされる:一つのことを聞いても、一つのことを見ても、わが身につまされる思いがあったなら、その見たり聞いたりしたことが、そくそくとわが身にせまってきて、いろいろさまざまの感慨が生み出されてくる。⇒身につまされてもらい泣きというけれど、つまりは人の世の喜びも悲しみも、その味わいも、身につまされた思いのなかで、無限に深まりゆくのである。⇒人間にとって、人生を歩む上において、身につまされるということは、やはり大事である。
・自分の非:人間は神さまではないのだから、一点非のうちどころのない振舞などとうてい望めないことで、ときにあやまち、ときに失敗する。⇒大切なことは、いついかなるときでも、その自分の非を素直に自覚し、これにいつでも殉ずるだけの、強い覚悟をもっているということである。⇒自分の非を素直に認め、いつでもこれに殉ずる―この心がまえを、つねひごろからおたがいに充分に養っておきたいものである。
・まねる:ものをおぼえることは、まねることから始まる。⇒人もまたみなちがう。柿のごとく梅のごとく、人それぞれに、人それぞれの特質があるのである。大事なことは、自分のその特質を、はっきり自覚認識していることである。⇒その自主性がほしい。まねることは、その上に立ってのことであろう。
・信念のもとに:時代は変わった。人の考えも変わった。しかし信念に生きることの尊さには、すこしも変わりはない。いや今日ほど、事をなす上において信念を持つことの尊さが痛感されるときはない。為政者に信念がなければ国はつぶれる。経営者に信念がなければ事業はつぶれる。そして店主に信念がなければ店はつぶれる。誇りを失い、フラフラしているときではない。⇒正しい国是を定め、誇りある社是を定め、力強い店是をきめて、強い信念のもとに、自他ともに確固たる歩みをすすめたい。そこから国家の、事業の、お店の、そしておたがい個々人の真の繁栄が生み出されてくると思うのである。
・わが事の思いで:持ち味もあろう、適性もあろう。修練もあろうし、くふうもあろう。熱意のちがい、真剣さのちがい、研究心のちがい、こうしたものが総合されて、天地の差を生み出しているのかもしれない。⇒同じ国土、同じ国民、同じ国富、つまり材料は同じでも、政治のやり方一つ、政治家の心がけ一つで、国家の盛衰、国民の幸不幸が根本的に左右されてくるのである。国家の運営も会社の経営も、また商店の経営も団体の運営も、すべて同じことが言えるであろう。⇒他人事ではない。わが事である。わが事の思いで、今一度、政治を吟味したい。経営を吟味したい。そして個人として、また国民としてのわが身のあり方を静かにふりかえってみたい。
・ピンとくる:人間の身体の仕組みは、実に複雑にそして実に巧みにできている。神のみがなし得ることかもしれないが、人工衛星の構造がいくら複雑だと言ってみても、所詮、人体の神秘さにはかなわない。見方によっては、宇宙の広大さ、神秘さが、そのまま人間の身体に再現されていると言ってもよいであろう。⇒それほどに複雑で、それほどに大きい。にもかかわらず、足の先を針の先でちょっとつついても、すぐに頭にすぐピンとくる。すみずみにまで神経がこまかくゆきとどいて、どんなところのどんな小さな変化でも、間髪を入れず頭に知らせる。だから機敏にして適切な行動もとれるわけである。⇒人と人が相寄ってつくった組織。商店、会社、いろいろの団体。一番大きいのが国家の組織。それらの末端をちょっとつついても、すぐにピンとくるかどうか。間髪入れずの反応が示せるかどうか。合理化といい生産性の向上といっても、本当はこの間髪入れずの反応が示せる体制から生れてくるのである。本当の意義はこのピンにある。
・政治という仕事:どんな仕事でも、それはみんなが共存してゆくためにあるもので、一つの仕事は他の仕事につながり、それがつながって世の中が動いている。だから自分一人の都合だけで、その仕事を勝手に左右することは、みんなに迷惑をかけ、道義的にゆるされるわけがない。自分の仕事は自分のものであって、同時に自分のものではないのである。⇒中でも政治という仕事は、一億国民に、直接のつながりを持っていて、その良否は、たちまち国民の幸不幸を左右する。それだけに、政治という仕事はもっと尊ばれ、政治家はもっと優遇されてよいと思うのである。⇒政治という仕事が軽視され、政治家が尊敬をうけないような国が繁栄するはずがない。⇒この責任は誰にある。選んだ国民の側にあるのか。選ばれた政治家の側にあるのか。
・求めずして:人情としてこれもやむを得ないとはいうものの、それにしてもおたがいに、あまりにも求めすぎやしないか。頼みすぎやしないか。頼りすぎはしないか。⇒手を合わすという姿は、ほんとうは神仏の前に己を正して、みずからのあやまちをよりすくなくすることを心に期すためである。頼むのではない。求めるのではない。求めずして、みずからを正す姿が、手を合わす真の敬虔な姿だと言えよう。
・大衆への奉仕:大衆は愚衆である。だから、この愚かな大衆に意見を聞くよりは、偉大なる一人の賢人があらわれて、その独裁によって政治が行なわれることが、もっとも望ましい―かつての大昔、だれかがこんな考えを世に説いて、それが今日に至るも、なお一部には、達見として尊ばれているようである。そしてこうした考えから、多くの誤った独裁政治、権力政治が生み出され、不幸な大衆をさらに不幸をおとしれてきた。⇒しかし、時代は日とともに進み、人もまた日とともに進歩する。今や大衆は、きわめて賢明であり、そしてまたきわめて公正でもある。この事実の認識を誤る者は、民主主義の真意をふみはずし、民主政治の育成を阻害して、みずからの墓穴を掘り進むことになるであろう。⇒くりかえして言うが、今日、大衆はきわめて賢明であり、またきわめて公正である。したがって、これを信頼し、これに基盤を置いて、この大衆に最大の奉仕をするところに、民主政治の真の使命があり、民主主義の真の精神がひそんでいると思うのである。国家繁栄への道も、ここから始まる。
・日本よい国:春があって夏があって、秋があって冬があって、日本はよい国である。自然だけではない。風土だけではない。長い歴史に育くまれた数多くの精神的遺産がある。その上に、天与のすぐれた国民的素質。勤勉にして誠実な国民性。⇒だから、このよい国をさらによくして、みんなが仲よく、身も心もゆたかに暮らしたい。⇒よいものがあっても、そのよさを知らなければ、それは無きに等しい。⇒もう一度この国のよさを見直してみたい。そして、日本人としての誇りを、おたがいに持ち直してみたい。考え直してみたい。