しばらく書かないうちにひどい状況になった。15日の戦没者追悼式で高市は「おわび」も「反省」も口にせず、さらには「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」と、日本の戦争加害を否定するような、とんでもない式辞を述べた。それは、日本政府という謝罪の主体(主語)を明示しなかった、安倍の欺瞞的な戦後70年談話と相似形だ。先の戦争について謝罪も反省もしない人物がこの国のトップなのだから、遅かれ早かれこの国は危険な領域へ突っ込んでいく。すなわち、私たちの前に待っているものは戦争である。
すでに戦争に備えて、この国のかたちは戦前的、軍国主義的なものに変えられている。この数ヶ月をとって見ても、武器輸出の全面解禁、選択的夫婦別姓制度の解体、皇室典範改正、国旗損壊罪、国家情報会議の創設など、明らかに戦前回帰を志向した法・制度が次々と首相主導で作られた。そして8月15日の高市は、愚かな歴史修正主義的歴史観をさらけ出した。
まさに新しい戦前が目の前に近づいている。そのコアにあるのは家父長制的な思考だ。この時代錯誤でマッチョな家父長制的な物差しで法・制度・文化が測られ、それに見合わないもの・こと・人は差別され除外される。その完成形は、憲法改正によって天皇を元首とし、国民から基本的人権を奪って天皇の赤子とする大家族国家である。つまり家父長制と国家が共謀したとき、新しい戦前が完成する。今、私たちはその戦前に半分足を突っ込んでいるのである。
そうした意味では、先週久々にテレビの報道番組に出ていた浅田彰にまったくもって同意する。彼は、「再び戦前が来るのではないか、もしかしてもう戦前なのではないか」と語っていたが、それは知識人としてはまともな指摘であろう。私はポストモダン系の知識人はあまり好きではないが、最近の浅田には共感するところが多い。同番組に出ていたもう一人の先崎彰容と比べると、その差は歴然としている。保守派の論客としてメディアによく登場する先崎だが、ピンボケした発言ばかりで、特に戦前回帰への危機感が全く感じられない点はポストモダンと同じだ。
日本の人々の多くは安倍レベルから高市レベルへとさらに知性が劣化し、教養を失い、自分の言葉すら持てなくなった。だから歴史から何も学べないし、学ぼうという意志すらない。自らの国が犯した戦争加害に向き合おうとしないから、高市のとんでもない式辞になるし、これに対して大規模な批判運動も起きない。こういう知性の劣化、社会の極右化に対しては、やはり言葉で闘っていくしかないだろう…
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今年になって2冊の本を出しました。『新書で時代と世界を読む――「戦後80年」の現在地——』上巻、中巻の2冊で、Amazonでも販売していますが、出版社を通さない個人出版の形なので2000円以上の値段が付いています。新書判でこんな高い本は誰も買わないし、買う必要はないです。読みたい人はいないとは思いますが、もし希望があれば送料(500円位?)だけ負担してもらえれば、2冊お送りします。
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