トランプ大統領が出席する夕食会での発砲事件は、トランプ政権に対する不満や憤りが背景にあったことは間違いない。なかでも年初から米国が次々と押し進めた帝国主義的な侵略や戦争が、事件の直接の引き金になったように思える。事件後にトランプが「容疑者はキリスト教徒を憎んでいた」とSNSに投稿し、大半がキリスト教徒である米国民を味方に付けようと図ったが、その投稿はトランプ政権の性格を物語っているように感じた。というのもトランプ政権は、キリスト教とりわけプロテスタント福音派に支えられた政権であり、政権を批判するのは非キリスト教徒だというメッセージがその投稿には込められていると思ったからである。キリスト教徒ならトランプ政権を支持するはずだ、支持しないのは非国民だというわけである。
ここに政教分離という民主主義の原則をめぐる問題が浮かび上がってくる。トランプは「キリスト教徒を憎んでいる」という扇動的なフレーズを使うことによって、事件の容疑者を「米国民の敵」認定すると同時に、トランプ政権への批判を封じ込め、現在の戦争を正当化しようとしている。宗教の政治利用というか、国家権力と宗教の結託がここに見られるわけである。
特定の宗教が政治権力と結びつけば、法の支配が揺らぎ、国際法違反の侵略戦争や大量虐殺なども起きかねない。宣戦布告なく騙し討ちのように今回のイラン戦争を始めたトランプの米国やネタニヤフのイスラエルは、まさに政教分離の原則が崩れて国家権力の暴走を招いた典型的な事例といえよう。
そのような政教分離の視点から、ローマ教皇レオ14世の発言も読み解くことができるのではないか。教皇は、イラン戦争勃発直後から一貫して戦争反対の声を上げ続けているが、これに対してトランプは教皇を批判する発言を繰り返している。この両者の対立は、先の発砲事件の構図と似たような形になっているように思える。つまり教皇は、キリスト教が戦争に加担してきた歴史の反省を踏まえて、人間同士の殺し合いである戦争に反対するとともに、政治と宗教が癒着して戦争政策を正当化するトランプ政権に対して「政教分離」を呼びかけているのではないか、と思うのである。
実際に発砲事件の容疑者が親イスラエルの福音派を憎んでいたのかどうかは不明だが、結果としてあの事件は、トランプ政権の政教一致的な性格と、それがイスラエルと一体化して戦争を助長、正当化している実態面を暴露した。教皇の言っていることも実質的に同じだ。すなわち、一部の宗教が政治や軍事と結びついて戦争を助長し、法の支配が力の支配に置き換えられてしまった、と。
私たちがいま手を結ぶべきは、トランプに抱きついたり隣でピョンピョン飛び跳ねたりする高市首相ではない。私たちはローマ教皇にこそ連帯して、トランプとネタニヤフが宗教の力をバックに押し進める戦争と虐殺に NO ! を突きつけなければならない…

