劇作家・演出家の野田秀樹は、あるインタビューで「人が何かを受け止める順番は《感じる・考える・信じる》のはずなのに、最近は《考える》が抜け落ちて、《感じる・信じる》が直結しているのではないか」と答えている。また、別の取材では「AI時代でも人間の世界は《考える》ことで維持される」とも言っている。

 

 

 

 現在の日本について的を射た指摘だと思った。まさに《考える》が抜け落ちて、《感じる》と《信じる》が直結してしまった結果が、今回の衆院選における自民党のバカ勝ちであろう。高市首相の言う「強い日本」とか「挑戦する」とか「成長」「積極財政」「危機管理」といった威勢のいい言葉と改革者ポーズに、有権者は高市なら何とかしてくれるという漠然とした期待感を抱き、この全く根拠のない高市の精神論を信じてしまった。野田が言うように、そこには《考える》ことが抜け落ちてしまっており、したがって今の日本は「人間の世界」を維持できなくなってしまった。日本全体がカルト宗教状態になってしまったのである。丸山眞男はオウム真理教事件が起こった時、「戦前は日本全体がオウム真理教だった」と取材に答えたが、まさに今の日本は全体がオウム真理教であり、戦前である。それは人々=大衆が《考える》をやめたことの帰結にほかならない。

 

 野田は別の取材には「戦後80年より81年のほうが大事ではないか。80年で終わるわけじゃない」とも言っている。まさに足元の日本について核心を突く指摘である。昨年、メディアでは「戦後80年」について企画記事が集中したが、節目が過ぎればそういう盛り上がりも収束してしまう。

 

 例えば昨年、岩波書店から出た『私の戦後80年、そしてこれからのために』という企画本では、岩波編集部は「はじめに」で、「戦後80年」は「『戦後』という意識が共有される最後の節目なのかもしれない」と書いた。だけど節目なんか関係ない!戦後80年であろうと、81年、82年であろうと、大切なのは戦争と常に向き合い続けることだ。戦争を後の世代に伝え、「戦後」を継続していくことだ。「戦後」が風化していくことへの危機感、そういう時流に抗する気概が、岩波に感じられなかったのは至極残念である

 

 その意味で「81年のほうが大事だ」という野田の指摘に私は強く同意するのである。その81年を蔑ろにし、《考える》をやめた結果が今回の衆院選であり、そのすぐ先には間違いなくスパイ防止法の制定が来る。スパイ防止法によってメディアを規制し、言論を統制した後、憲法改正の発議、国民投票が待っている。《考える》を停止した国民は、極右政権にコントロールされたメディアの垂れ流す情報・プロパガンダを鵜呑みにし、基本的人権も平和主義も立憲主義も否定した憲法改正案に賛成するだろう。今回の衆院選を見ればわかる。

 

 今回の衆院選は、《戦後》が終わり、新たな《戦前》の始まりを告げるSNS翼賛選挙であったと、後の歴史に記されるだろう…