2月18日中日新聞・夕刊に作家の赤坂真理さんが「安倍氏銃撃 裁判に思う」という文章を寄稿されていて、私もいろいろと思うところがあったので、今日は山上裁判について書いてみようと思う。
山上徹也被告に対する判決は、求刑通り無期懲役だったわけだが、被害者一人の事件としては異例に重く、成育歴・家庭環境や更生の余地などを考慮すれば、懲役15年、重くて20年あたりが妥当なところではなかったか。あまりに重い差別判決、不当判決だ。
判決は、検察側の主張を丸呑みしたものだった。すなわち山上被告が育った過酷な境遇と事件の関係を全否定し、「旧統一教会に対する負の感情を健全に解消、あるいは合法的な手段による解決を模索することなく犯行に及んだ」と指弾した。
それまでの公判はいったい何だったんだ、と言いたくなる。判決は、元首相が殺害されたという結果しか見ておらず、山上が公判で詳しく語った事件に至る背景は一切くみ取らなかった。証人尋問では山上の妹が「教団に家庭を壊された。相談窓口を探したがなかった」と証言した。重い言葉だ。裁判官はこの発言をちゃんと聞いていたのか、問い質したい。
今「重い言葉」と書いたのは、「合法的な手段による解決」に必要なセーフティネットが社会に整っていないことをこの発言は告発しているからだ。山上被告やその妹のような宗教二世の声に誰も耳を傾けなかった末に、この事件が起こったことは明らかだ。行政のみならず、社会全体がその責任を負うべきなのである。にもかかわらず、司法、裁判所は事件の背景を見て見ぬふりをして責任逃れを図り、正義を装っている。実際は権力者に阿諛しているだけ話なのだ、こういう司法を私たちは絶対に許してはいけない。
判決は、衆人環視のなかで元首相が殺害されたことの社会的影響(赤坂さんは「公共性」という言葉を用いている)を重視するが、しかし一方で、現役の首相として統一教会を積極的に称えた安倍の社会的責任(「公共性」)は問われないのか。赤坂さんは安倍氏が教団を称えたことの「公共性」は問われるべきだったと書いているが、私も同感だ。どう見ても公平性、客観性に欠ける差別判決、権力に屈服した不当判決に怒りがこみあげる。
かつて「連続射殺魔」と呼ばれた永山則夫もまた過酷な環境で育ち、貧困と差別という彼の絶望は1挺のピストルによってしか救われなかった。山上にも同じことが言えるのではないか。
永山事件の控訴審では、1審の死刑判決を破棄して、無期懲役を言い渡した。その控訴審を担当した船田裁判長はその理由をこう述べている。
劣悪な環境にある被告人に、早い機会に救助の手を差し伸べることは、国家社会の義務である。その福祉政策の貧困もその原因の一端というべきなのに、これに目をつぶって全てを負担させることは、片手落ちの感を免れない。
(『記者がひもとく「少年」事件史』岩波新書p.30~p.31)
少年事件の裁判とはいえ、かつてはこういう判決文を書く裁判長もいたことを多くの人に知ってほしい。特に山上裁判の判決を下した裁判長には何度も読ませてやりたい気持ちになる。
山上裁判の裁判長は、山上が「負の感情を健全に解消」すること、「合理的な手段による解決を模索すること」を怠ったと非難しているが、妹が「相談窓口を探したがなかった」と証言しているように、「合理的な手段による解決を模索」したが誰も耳を貸さなかった、社会が救いの手を差し伸べなかったというのが現実なのである。「福祉政策の貧困」がこの事件の背景には厳然と存在するのだ。手製の銃と2発の銃弾以外に、何か解決の方法があるのなら教えてくれと、その裁判長に私は問いたい。
統一教会の日本への進出と教勢拡大の背景には、日韓の歴史があった。すなわち日本の植民地支配に対する怨恨の情が、統一教会の教義の根っこにはある。加えて、日本の歴代政権が植民地支配という朝鮮半島の歴史に正面から向き合ってこなかったことが、統一教会による日本人搾取をエスカレートさせていった。
日本で福祉政策としてセーフティネットが重層的に構築されていたなら、また日本政府が植民地支配という歴史に誠実に向き合っていたなら、山上の人生は全く違っていたものになっていただろうと私は確信する…

