前回は「逃してはいけないモノを逃した秀吉」について話ました。

今回は男女の第二次性徴の違いについてです。

 

ところで、もし秀吉が女性だったら、子どもはできていたでしょうか?

私は「いた(産めていた)」と想像します。とはいえ、2~3人が限界と思いますが・・・。

では、なぜ女・秀吉には子ができて、男・秀吉にはできないのか?

 

それは第二次性徴のスタートラインが男女で異なるからです。

 

第二次性徴とは思春期になり男女の特徴が現れることを言い、この時期から生殖器の成熟が始まります。男女ともに重要な時期であることには変わらないのですが、秀吉のことを思うと男性の方が重要度は高い気がします。

 

というわけで、まず、男性の第二次性徴から。

男性はこの時期に入って初めて精子が作れるようになります。というか、その機能を作り始めます。

これは更地に工場を造る感じです。もちろん、予め、それ用の土地(陰嚢)を確保しているのですが、そこに資材(たんぱく質)と人手(エネルギー)を投じて建設を

始めます。

なので その両方をどれくらい確保できるか が、工場(精巣)の規模と質を決めます。そして、その規模と質が将来の精子の数へとつながっていきます。

男・秀吉の場合、資材と人手が足らず工場を作れなかったまたはイマヒトツの出来になったと私は考えています。

 

一方、女性は胎児の段階で卵巣も卵子の卵(原子卵胞)も作って生まれます。

なので、第二次性徴期に入って初めて卵子を作るわけでは無いですし、この時期の

栄養状態が将来の卵子の数に影響を与えることも少ないです。また、原子卵胞→卵子の成長は体の成長がある程度終わりを迎えた頃に始まります。理由は栄養状態が安定するからです。

 

なぜ、栄養状態が安定するのでしょうか?

それは、体の各所から届く「たんぱく質、足りない」「鉄、もっとちょうだい」などの栄養素の要求が減るからです。成長期とは、いわば栄養失調に近い状態です

 

女性の場合、排卵後に妊娠・出産をする可能性があります。

 

もし、栄養失調に近い状況で妊娠したら・・・おそらく、女性も胎児も共倒れです。もしくは、流産。

なので、栄養状態が安定し始めた時期=成長が終わる頃に卵子の成熟を始める、そうなっているのだと思います。

逆に言うと、栄養状態が悪い場合は卵子の成熟は一生、起こりません

これは第二次性徴期を終え、成人しても同じです

 

なので、戦国時代もこのような女性は居たと推測できます。

しかし、信長から領地を与えられた、30代以降の秀吉がそんな栄養状態だったとは思えません。だから、秀吉が女性だった場合は妊娠できたと思いますし、それと同じことが男・秀吉の側室にも当てはまると思います。

 

豊臣秀吉について考えてみた(5)に続く