前回は「私は秀吉が本当に秀頼の父親か?と疑っている」について触れました。

今回は秀吉の食事についてです。

 

日本の歴史の中で1番出世した豊臣秀吉。ですが、その出生~少年期は不明な部分が多く、正確には判っていないそうです。そのため、信長に仕え始めた年齢は15歳や17歳とも言われています。

いずれにおいても「非常に貧しい身分の出身で、幼い頃は苦しい生活をしていた」というのが現時点での定説です。

 

つまり、子どもの頃の秀吉の食事はメチャクチャ貧相だったと想像できます。

 

時は戦国。大名ですら 貧相(良く言って 質素)と思える食事なのに、それより貧しい人々の食事が「イイね👍」と言える内容とは思えません。きっと、空腹を少ししのぐ程度だったのではないかと思います。

 

内容も米はそんなに食べられなかったと思われ、アワやヒエなどの雑穀と木の実や

野菜類が多く、肉や魚などのタンパク源は期待できないかと。

仮に、狩りでタンパク源を手に入れられたとしても、大型動物(クマ・ウシ・ウマなど)が少なかった日本では1日の総エネルギー量をその動物から得るのは難しいと

思われ、このことから、少年期の秀吉は体が要求するエネルギー量&たんぱく質量を摂取できてなかったと考えられます。つまり、

 

命を明日につなぐことはできるけど、成長できる程の量は食べられなかった

 

ということ。

これは、成長中の子どもには大問題です。特に思春期は。

というのも、思春期はちょうど第二次性徴の時期。身体の成長と共に生殖器も急速に発達していきます。特に男性は精子を作る工場、精巣がこの時期に発達(陰嚢の

肥大)するので、ここでの発達が将来の精子に影響します。

 

ここで「あ!」と思われた方、そうです。私が『秀吉は子どもが作れない体だった

可能性がある』と言ったのはこの部分に注目したからです。

しかし、秀吉は信長に認められたことで裕福になっていきます。タンパク源が豊富な美味しい物もたくさん食べられるようになったはずです。となると、この説に暗雲が立ち込めてきます。

「秀吉はちゃんと成長できたのでは?」と。

 

なので、次回はその部分について話していきます。

 

豊臣秀吉について考えてみた(3)に続く