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現在、世界を2分する、ピアノ銘柄といえば、スタインウェイと、ベーゼンドルファーが、
両雄である。
某書によれば、スタインウェイは、パンチがあり、ベーゼンドルファーは、
音がきれい、というのが、今日の一般的了解であるそうだ。
演奏家にも、それぞれ、お気に入りのメーカーがある。
世紀のヴィルトゥオーゾ、ホロヴィッツは、圧倒的な、技量と重量感で、
スタインウェイを弾きまくり、
人間味あふれる、リヒテルは、日本で、コンサートがある時は、ひいきの調律師が、
所属するメーカーのピアノを、使用していたが、本来は、ベーゼンドルファー派だったそうだ。
このように、ピアニストが、ピアノという楽器に、こだわって、奏でる音は、
美しく、時には、力強く、演奏会に出掛けた人達の、心をつかみ、とりこにする。
かくいう私も、数多くのコンサートで、演奏家たちの奏でる音を、聴かせて頂いたが、
「一番心に残った、ピアノの音は?」といえば、
足繁く通った、コンサートでの、ピアノのそれではなく、
学生時代、レッスンしてくださっていた、ピアノの先生が弾いた、オンボロピアノの音だ。
彼女は、当時、20代後半だったと思うが、芸大院を卒業され、また、高名な某氏に師事され、
コンサートも行っており、そして、とてもきびしい人だった。
当時、私は、週に一度、自宅で行われる、ピアノのレッスンが、イヤで仕方がなく、
とはいえ、レッスンを止めるのも、イヤという、不良少年だったので、
練習は、1つの曲は、5回までと、自分勝手にルールをつくり、徹底して、その決め事を、守り通していた。
当初は、それでも通用していたが、難易度が、高まるにつれ、ほころびが、目立つようになっていった。
彼女は、レッスン中、鉛筆で、ピアノのふちを打ちつづけ、リズムを取り、黙って聴いているだけだったが、
出来が悪いと、その美しい顔が、鬼に思えるほど、恐ろしい形相で、一喝され、鉛筆で、手を何度も叩かれた。
レッスン中は、いつも身の縮まる思いなのだから、もっと練習しておけば良いのだが、そうしない日々は続いた。
そして、その日は、ついに訪れた・・・
彼女は、いつも通り、ピアノのふちを、鉛筆で打ち続けていたが、突然、その手が止まったかと思うと、
私を突き飛ばし、自ら、その曲を弾き始めたのだ。
その時の、怒りに満ちた、恐ろしい気迫の、力強い音は、それまで聴いた事もなく、
このおんぼろピアノに、こんな力が、隠されていたのか・・・と、驚くほど、衝撃的な響きだった。
どうやら、音楽家の生きていく世界も、芸能界と、趣を同じくしているらしく、運がなかったのか、
はたまた、世の不条理を、まざまざと、見せ付けられたのか、いづれにせよ、CDに1度、名を連ねただけで、
秀でた才があっても、大きくはばたけなかった。
それでも、彼女が弾いた、実家の、おんぼろピアノの音は、どの演奏家が、奏でる音よりも、
美しく、力強く、衝撃的に、そのピアノと共に、私の心に刻まれている。
大黒摩季さんの曲が、はやったのは、15年も前の事だろうか。
ギラギラの太陽と~ピチピチのON THE BEACH![]()
街中やTVで、頻繁に流れ、耳にした。
そんな彼女の、曲のメロディーが浮かび、頭から離れないほど、今日は、ギラギラとまぶしく、
そして、暑かった。
吸い込んだ空気が、蒸気となって、体中をかけめぐり、体温が上昇する。
頭が、くらくらして、めまいがする程だ。
「この先、夏場に向けて、どのくらい、暑くなるのだろう・・・」
あまりの状況に、悲観的になりかけたが、ふと思い出した。
「山本昌・・・あの男が、帰ってくる!」
中日の山本昌は、昨年まで、23年連続勝利の、日本タイ記録を持つ、ベテラン左腕だ。
そんな彼も、当初は、将来を嘱望されての、入団ではなかった。
たいした成績も、残せないまま、プロ5年目を迎えた。
そして、その年フロリダで行われた、春期キャンプが終了すると、
そのまま、残留を命じられた・・・
野球留学といえば聞こえは良いが、戦力外、つまりは、島流しである。
だがそこで、ドジャース1Aのオーナー補佐だった、アイク・生原氏との、
運命的な、出会いがあった。
彼から、変化球や、野球に感謝して投げることを、教わった。
チームから見捨てられた男が、その出会いをきっかけに、自信をつけ、
アメリカで成績を残し、シーズン途中で、日本に呼び戻され、
その後、中日の看板選手へと、育ったのである。
今では、その活躍は、多くのファンの心に刻まれている。
そんな彼も、40歳を過ぎるころから、一年を通して、ローテーションを守ることは、
なくなった。
「もうそろそろ、引退かもしれない・・・」
「名球界も、無理かもしれない・・・」
ファンの間でも、ささやかれ始めていた、そんな男は、昨年、一昨年と、
夏場に復活し、白星を重ね、チームを救ってきた。
その度に、引退の危機から、踏みとどまり、名球界入りも果たした。
しかし、8月11日で、46歳になる今年は、まだ一軍の試合で、登板していない。
だが、私達は、彼の復活を信じている。
彼が、幾たびもの、試練を乗り越えてきたことを、知っている。
そして、夏場に、やって来ることを・・・
かんばって、山本投手!
がんばって、おじさんの星!