東恩納寛量先生・・・宮城長順先生・・・長嶺将真先生・・・?
1853年3月10日沖縄那覇の西町に生まれる。幕末の混乱期に生き、幼少の頃から空手に興味を持ち沖縄手を修行していたが中国拳法の現地修行という念願叶い、1873年福州へ渡り修行を重ねる。32歳で帰郷し、その卓越した拳技の高名は那覇に広がり、自宅で門弟の指導をすることになる。東恩納先生の学んだ中国拳法が「那覇手」と呼ばれ、衆目を引くようになり、その技術が理にかない、 門弟の精神教育は厳格にあたり、性格粗暴な者は破門、また入門を固く断った。またその指導も、三、四年は基本の三戦だけ徹底して教え込むというように極めて厳しかった。1905年、初めて沖縄県立師範学校、県立第一中学校で空手を武道の正科として採用され、その実現を担った東恩納先生の努力はその後の空手界の発展に大きく寄与した。そのような中、優秀な門下生が多数集まった。中でも宮城長順という後継者に恵まれ、東恩納先生の「那覇手」は宮城長順先生によって「剛柔流」へとかわり、今日の隆盛へと引き継がれてきた。東恩納先生は1917年63歳で病没された。
「那覇手」として近代空手「剛柔流」を胎動させたのは東恩納寛量先生であり、その実質を統合させたのが宮城長順先生である。宮城先生は東恩納先生のもとに14歳で入門し、その厳しい修行に耐え、やがてその力量、技術力は多くの門下生の中で抜きん出る。1918年4月首里に先出の摩文仁賢和宅に「空手研究会」が発足され、船越義珍、知花朝信、屋部憲通等によって構成され、理念研究、技術錬磨の場を目指していたが、これに対し那覇旭ヶ丘に「沖縄唐手倶楽部」が発足され、宮城長順、本部朝勇、許田重発、城間垣貴等で構成された。また、その道場には本部朝基や喜屋武朝徳など師範クラスの出入りがあった。その後、1941年沖縄空手道専門委員として、当時の早川沖縄県知事の「空手の振興を図るため簡単な型を作ってほしい」という要望に応え「普及形Ⅱ」を創作する。そのとき「普及形Ⅰ」を長嶺将真先生に作らせる。この長嶺将真先生は1940年に宮城長順先生の推薦で京都の武徳祭で、その見事な演武を賞賛し、大日本武徳会から「空手術練士」の称号が贈られ警察官6万人の中でただ一人の名誉を受け、沖縄で唯一の称号保持者となる。1945年終戦後宮城長順先生は警察学校の教官に任命され那覇壺川に引っ越し、弟子たちによって道場が出来、「剛柔流振興会」を発足。1953年10月8日享年65歳で逝去。宮城先生亡き後、八木明徳、宮里栄一、与儀実栄、比嘉世幸、上原三郎、宮城敬、伊波康進等の高弟によって継承される。この時に高弟同士の分派が始まる。
やはり、ここで分派してしまうのか・・・。仕方のないことなのか・・・?。
しかし、先出の高弟先生方はそれぞれが各会派で現在も活躍されている剛柔流であり、これまた素人の私にとってはどこの会派が良くて、どこに特徴があるのかわかりません。
ということで例によって・・・。他先生を見ていこう。
よって
ここで登場した宮城長順先生が武徳祭に推薦し、空手術練士の沖縄唯一の称号保持者である長嶺将真先生とは・・・・?。
「那覇手」として近代空手「剛柔流」を胎動させたのは東恩納寛量先生であり、その実質を統合させたのが宮城長順先生である。宮城先生は東恩納先生のもとに14歳で入門し、その厳しい修行に耐え、やがてその力量、技術力は多くの門下生の中で抜きん出る。1918年4月首里に先出の摩文仁賢和宅に「空手研究会」が発足され、船越義珍、知花朝信、屋部憲通等によって構成され、理念研究、技術錬磨の場を目指していたが、これに対し那覇旭ヶ丘に「沖縄唐手倶楽部」が発足され、宮城長順、本部朝勇、許田重発、城間垣貴等で構成された。また、その道場には本部朝基や喜屋武朝徳など師範クラスの出入りがあった。その後、1941年沖縄空手道専門委員として、当時の早川沖縄県知事の「空手の振興を図るため簡単な型を作ってほしい」という要望に応え「普及形Ⅱ」を創作する。そのとき「普及形Ⅰ」を長嶺将真先生に作らせる。この長嶺将真先生は1940年に宮城長順先生の推薦で京都の武徳祭で、その見事な演武を賞賛し、大日本武徳会から「空手術練士」の称号が贈られ警察官6万人の中でただ一人の名誉を受け、沖縄で唯一の称号保持者となる。1945年終戦後宮城長順先生は警察学校の教官に任命され那覇壺川に引っ越し、弟子たちによって道場が出来、「剛柔流振興会」を発足。1953年10月8日享年65歳で逝去。宮城先生亡き後、八木明徳、宮里栄一、与儀実栄、比嘉世幸、上原三郎、宮城敬、伊波康進等の高弟によって継承される。この時に高弟同士の分派が始まる。
やはり、ここで分派してしまうのか・・・。仕方のないことなのか・・・?。
しかし、先出の高弟先生方はそれぞれが各会派で現在も活躍されている剛柔流であり、これまた素人の私にとってはどこの会派が良くて、どこに特徴があるのかわかりません。
ということで例によって・・・。他先生を見ていこう。
よって
ここで登場した宮城長順先生が武徳祭に推薦し、空手術練士の沖縄唯一の称号保持者である長嶺将真先生とは・・・・?。