これを文字にするのは実は怖い。


指が小刻みに震える。


でも、書いておきたい。


平成が終わる前に。

*長いです







今月の13日、
姉が亡くなった。

56歳







7年前に発病した癌は肝臓に転移し、
姉をこの世から連れ去って行った。







2月、余命宣告を受けたと姉から聞いた時、
「いや〜、それは無いわ〜」
と、私は即座に否定した。

そんなの信じたくない!
という願望ではなくて、どっからどうみても、まだ寿命はあるでしょ!
医者の予言を鵜呑みにしたらあかんし!

余命宣告を受けた人でも治った人、いっぱいいるやん!
オネエはそっち組!


私は笑って軽〜く
「奇跡を起こそか!」
と姉に持ちかけ、
姉が今まで受け付けなかった民間療法とスピリチュアルからのアプローチを勧めた。





それまで、真面目な姉は、西洋医学を、というより、主治医を信じて治療を続けていれば、きっと良くなると信じていた。


でも、残酷なことに、姉はその信じていた主治医から、あっさりともう治る見込みがないと告げられたのだ。



いつもの検診のつもりで病院に行ったら突然の告知。
姉はそれをひとりで聞いた。






正直、私は癌は治る病気だと思っている。
癌に限らず、慢性病といわれるものは食べ物と考え方を変えたら健康な身体に戻っていくと思っている。

全員が全員、本当はそうなると思っている。


でも、癌は死ぬ病気。
だって、日本では2人に1人が癌で死んじゃうんだよ⁉︎
医療先進国の日本で治せないんだから、それはもう抗えないよね…

と、そう信じていたらそうなるだろう。







姉とは年に数回会う程度。
時々姉が電話をかけてきて、近況報告をしあった。
姉の話題はやっぱり病気のことが多くて、薬が変わる度に表れる副作用が辛い、と何度となくこぼした。


私の返事は決まっていて、
「オネエがやりたいこと、楽しいと感じること、出来そうなことからでいいからやり〜♪」
「病気なんて笑ってたら治るよ〜♪」

同情するでもなく、励ますでもなく、ヘラヘラ〜と笑って受け答えをしていた私だが、今思えば、この時私がさっさと姉をどこかへ連れ出して、気分転換をさせてやればよかったのだ。


そして、一緒に笑った笑った!
楽しかったー!
っていう思い出をたくさん作っておけばよかったのだ。




そして、今思えばこれが一番悔いが残ること。
もっと早くから私も癌に付随する情報を集めておけばよかったのだ!





姉に余命宣告を受けたと告げられた日から、私は猛烈な勢いで癌について、治療について、薬について、調べまくった。

それでわかったこと。
ここでは深く書かないが、日本の癌治療にはおかしなところがいっぱいある。
そのたくさんある抗がん剤そのものが身体を蝕んで、癌がより進行するケースetc…



主治医を信頼していた姉は、おそらく自分で情報収集などをする必要性も感じていなかったに違いない。

そんな姉に酷だとは思ったが、医療界の闇と思われる部分も伝え、自分の身体は自分で治せるよ!
今からでも間に合う!
いろいろ試そう!
そう持ちかけた。

調べる中ででこれは!と思う情報はどんどん姉に提供し、姉が乗り気になったもので手に入れられるものは直ちに入手。
信頼のおける気功師さんにも往診に来てもらった。


そうして遅まきながらも2人でひとつになったような感じで(私はそう感じてた)姉の身体の回復作戦をはじめたのだ。



副作用で苦しむばかりの抗がん剤治療の代わりに代替療法をやってみると決めた姉。


意欲的に、自主的に病気に立ち向かっている姉はカッコよかった。



亡くなる前日まで、私が勧めたサプリメントを
「これだけは飲まな〜」
と飲んでたよ、と姪から聞いた。




幸いにしてニートな私は自由に動ける。
仕事がある義兄や姪っ子に代わり姉の付き添いをしてあげることができた。







でもなぁ…

やっぱりとりかかるのが遅かったんだよなぁ。

もっと早くから手を打つことができたんじゃないのか?
と、どうしても思ってしまう。




もう少し早い段階で抗がん剤治療をやめ、体質改善や免疫力を高める暮らし、考え方にシフトできていたら…。


今さら言ったところで仕方がないとわかってはいるが、最後の最後ににしか手助けできなかったことに悔いは残る。



とはいえ、姉が作り出した現象世界は姉だけのものだ。
私が早い段階でお節介を焼いたとして、結果が変わったかどうかは誰にもわからない。
そして、どんな現実であったにせよ、姉が選択してきた人生に、私は心から賛辞を送る。






最後は姪っ子2人と私の3人でチーム体制をとり、姉の健康回復作戦を続けていたが、
姉の状態は日に日に悪くなり、
希望していたホスピスにやっと転院した翌日、姉は還らぬひとになった。






ホスピスは家族も泊まれる。
姪っ子2人が最期にそばに居られたのは神の恩寵だったのだろう。







後日、姉を迎えに観音菩薩が来ていましたよ。
と、気功師さんに教えていただいた。
姉は亡くなってすぐ、律儀にお礼を言いに行ったそうだ。





人は死んでも魂は永遠だ。





もう体を持った姉には会えないが、肉体を脱いで身軽に動けるようになった姉は、家族にそれとわかるようなサインをたくさん繰り出し、見えない人となって私たちに会いに来ている。



不自由だった身体から抜け出し、自由自在な魂となった姉が引き起こすそのお茶目な怪異現象を、私たち残された家族は愉快現象と呼び、喜んで報告しあっている。☺️





姉が今幸せな状態でいることがわかり、私たちも悲しみに沈むことなく、安堵した気持ちで日々を送れているのだ。

お姉ちゃん。
ありがとう!





姉が亡くなった日、空にいた龍たち。🐉
これを見ただけで姉が一瞬にして天に還った!と実感したのでした。