南三陸町で 2018年3月11日 を過ごす。
2011年の3/20 から 2012年の9月まで
復興のサンプルをこの町で作るぞ!!
「 復興のノロシを南三陸から上げよう」
そんなことを愛言葉に 町の皆さんと走った。
当時 先頭を走って下さった
南三陸さんさん商店街のリーダーの皆さん
右から
及善蒲鉾店の社長 及川善祐さん
マルセンの社長 三浦さん
(商店街の代表)
津波の直前から ずっと
シャッターを押し続けてきた
佐良スタジオの 佐藤信一さん
2枚の写真の
山内鮮魚店 社長の 山内さん
(福興市のリーダー)
この人達と 今となっては
本当に 伝説と言ってもいいほどの
奇跡の祭り 『 福興市 』を
震災後すぐの
2011年 4月29.30 日から
毎月 月末日曜日に やり続けたんです!
なんと!! 現在も続いてるその「市」は
70数回を超えています。
特に最初の1年は 毎月 1万人以上
最多の時は 2万人の来場者がくる
あり得ない イベントを
ホントに 毎月 毎月 毎月 やりました!!
何度も 何度も ミーティングを重ねて
何度も 何度も 進化発展させながら。。。
そのパワーが
ここまで集客力が続いている
被災地でも凄い成果を出している
『 南三陸 さんさん商店街 』 になってる
その時は 奇跡の1回目のメンバー
みんな集まって 思いっきりお祝いしたなーー
と 皆さんと お話ししました♪
EXILEや サンドイッチマンにも
また 来てもらわないとですね!!
第1〜6回の ダイジェストの映像はこちら↓↓
震災後も ずっと 大切な人達と繋がってます。
今朝は 南三陸に朝方について
ゆっくり 休憩させてくれた
歌津の泊崎荘 の パティスリーくりちゃんと お姉ちゃん ♪
くりちゃんは 絆ロールの開発者で
美味しい ロールケーキを 作って頑張ってる
いつも 積極的に 学びにも来てくれたり
ホントに 一生懸命✨
お姉ちゃんに言われて嬉しかったのは
「 2012年の1月の福興市の時に書いてもらった
書き下ろしで 今まで 何回も 助けてもらってます! 」
って。 嬉しいなぁー
当時 志津川保育所の延長先生だった
和貴子先生は
福興市でも いつも コーラス隊で歌ってて
今日も 商店街についたら
1番に再会して 一緒に歌わせてもらいました♪
涙 涙 涙 でした。
当時のことを 感じて
亡くなられた方の想い
生き残った人の想い
大好きな 南三陸の皆さんの想い
たくさん 感じて
ポロポロ 泣いて
そして 歌って
ホントに 有難い気持ちでした。。。
商店街では ホントーーーーに
美味しい 魚介類を スタッフと みんなで楽しんで
チリの モアイさんに 感謝して
震災後 飲まず食わず くらいの勢いで
動いてた時に
いつも いつも
「 ほら!! えいた!! あんたも 食べてけ!!」
と 言ってくれて
志津川中学校の 避難所のテントで
美味しい オカズを作っては
僕ら ボランティアにも
おすそ分けしてくれてた
田畑姉妹の おばちゃん✨
行くたびに なんか 逆に元気を貰ってます!!
強い お母ちゃんたち。
田畑さんの娘の 田畑祐梨は
EXILEにいっぱい応援してもらった
当時の中学校3年生メンバーで
高校生の時から 「津波の語り部」を始めて
大学に行っても やり続けて
何万人にも メッセージを届けていきました
当時、被災地で関わっていた中学生たちが
こうして 立派になってくれてることは
ホントに ホントに ホントに 嬉しいこと。
まだまだ 復興には 時間がかかりそうで
景色も どんどん 変わっていて
なんとも言えない 想いも感じるけど
でも でも ここで生きている 皆さんは
やっぱり 変わらず 大好きで
本当に ご縁を 頂けた ことに
改めて 改めて 感謝です。
ありがとうございます
ありがとうございます
東日本大震災で 亡くなられた
1万8434人の方の
ご冥福をお祈りします。。。
2018年3月11日 伝動詩人えいた