今日も張り切って書いていきますか!




 さて、本日は「美味しいコーヒーの淹れ方」をテーマに書いていこうと思います。



 いきなりなんですが、僕コーヒー淹れるの下手くそなんですよね。愛情たっぷり込めて淹れてもエグさが際立って、ひとくち飲む前からエグさが漂ってくるぐらい下手くそな淹れ方なんですよね。

 

 何故こんなに下手くそ何だろうってずっと疑問だったのですが、遂に判明しました!(判明したというか教えてもらった)

 僕はそもそも



 「美味しいコーヒーが分からない」



 何をもって美味しいコーヒーと呼ぶのか?
 それが分からないから、どうしたら美味しいコーヒーになるのかイメージが出来なかったんですよね。

 そんな僕に友人がコーヒーを淹れてくれたのですが、


 
 友人が淹れたコーヒーを飲んで目が覚めましたね。


 彼は豆が持つ特有の香りを存分に引き立て、その香ばしい香りでこちらの期待を仰ぎ、口の中に広がるコーヒーの上品な甘さと風味は、期待を裏切るどころか軽やかに超えていき、瞼の裏で可憐な少女が微笑み心にそよ風をもたらした。そしてスッキリとした味わいがいつまでも浸っていたくなる様な余韻を生み出し、陽の柔らかな光が私に新しいインスピレーション授け、善なる意識が目覚めてゆく。

 そうして目覚めた意識が私の1日を美しく彩り、喜び溢れるものを世界に鳴り響かせてゆく。それはいつしか波紋の様に穏やかに、そして瞬く間に広がり世界をより美しく創造してゆき、地球を善で満たして大宇宙に新たな祝詞をもたらすだろう。







 ハッ‼︎コーヒーの味を思い出していたらいつの間にか饒舌に語っていた。ご機嫌な文章でコーヒーの音が聞こえてきそうだぜ。

 いやいや、そうじゃないだろ。落ち着け俺よ。コーヒーの淹れ方から見えてきたものを書きたかったんだろ、今回は。


 ふむ、まだまだ余韻に浸っている様だな。でも何となく分かってきたわ。アレが美味しいって事なんだろうな。
 俺の中に美味しいコーヒーの軸が出来上がった瞬間でしたね。




 さて、気を取り直して美味しいコーヒーの淹れ方を通して気づいた事なのですが、

 やはり一つ一つの物事には意味があるという事ですね。





 美味しいコーヒーをご馳走してくれた後、友人は美味しいコーヒーの淹れ方をレクチャーしてくれたのですが、

 今まで僕がやってきたのはただ手順を真似しただけで、それ其の物の意味を全く意識していなかったって事が判明しました。



 例えば、コーヒーを抽出する前にコーヒードリップにお湯を注いで器を温めるのですが、



 「何故それをやるのか?」


 そういった一つ一つの工程の意味を加味していないから同じやり方をしても差が出てくるんだと理解しました。



 コーヒーを蒸らす際も、ただお湯をかければ蒸らされると思っていたので、お湯の量なんてお構いなしにダバダバかけていましたね。
 あれはもはや蒸らすではなく、抽出でしたね。

 半端に抽出して時間をおいて再び淹れたらそりゃあエグみは出るし美味しくないよな。そしてお湯を淹れる量も1回目と2回目でバラバラだから、もう全体的にぐちゃぐちゃになってましたね。

 感覚が鋭い人が飲んだら舌が痺れ上がるほどのエグさと苦味のダブルパンチだったと思います。





 観察とただ見るにはとんでもない大きな差がある事が今回の件からハッキリ分かりました。

 観察には思考が伴います。


 事象を見た時に、そこに自分自身の思考が伴い何故の何故の何故を追ってゆき、本質を理解していく。

 それが正しい「観察」なんだと思います。ただ見るのではなく様々なものを加味して感じ考え理解していく。とても良い勉強になりました。






 その後、教えてもらった事を忠実に守り淹れなおしてみたところ、先程まであったエグみが嘘の様に消え、普通のコーヒーまで昇格する事が出来ました!

 ただ「美味しいコーヒー」になるにはまだまだ道のりは遠いなと感じましたが、そこで不貞腐れて投げ出してしまってはエグみに磨きがかかってしまうので、腐らず少しずつ上達していこうと思います。





 さて、今回の思索は如何だったでしょうか?思索というより日記に近いかもしれませんね。まぁ僕の脳内大公開がこのブログの醍醐味なので良しとしましょう。

 それでは本日も読んで頂き誠にありがとうございます、また次回の記事をお楽しみに〜👋

 


 





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