愛って何だ?
愛って何だ?
愛って何だ?
今回は、究極の問い
「愛って何?」
これについて答えていきたい。
長いこと触れずに放置してきたけど、俺の根幹を愛で満たしていきたいと思い、自分なりに感じ考えていこうと思う。
昨日、上記の記事をアップしたが、その中で
「俺の根っこに寂しさがこびりついている」
といったニュアンスの事を書いた。
俺が自覚していないだけで、俺の根っこ・根幹部分は「愛」だと思うのだが、その愛を自分自身が自覚出来ていないから、
「『愛』を見失っているから孤独を感じるのではだろうか?」
そんな風に思う。昨日の記事に付け加えるとって感じかな?
己の内に愛を自覚する事が出来たら、「孤独」を感じる事はない。
あー、やっぱそうだよな。愛の欠如が自分自身を孤独にしてしまうのだろう。いや、何だろう。もっと深みがあると思う。そんな簡単に片付けられる様な事じゃない気がする。
そう、愛の欠如っていうけど、
「じゃあ、いつ無くしちまったんだ?」
って話になってくると思う。
誰だって愛を無くしたい訳じゃないと思う。大きくなるにつれ愛を保つことの出来ない習慣や環境に身を置いてしまう事はあると思うけど、それでも根っこの部分は誰だって愛の中で生きていきたいと思うのではないだろうか?
俺もそうだ。
愛と共に在りたいと思いながら、愛を拒絶する様な行動や生き方をして、愛に対して素直になれない自分が居たりする。
「俺に愛は要らない」
みたいな感じでね。一瞬そんな風に思ったこともあるだろう。
が、生まれた時からそうだった訳ではないと思う。今の俺は愛が何なのか上手く答えられないけど、赤ん坊の頃の俺は「愛」と共に在るのが当たり前だったと思う。
なので一旦、赤ん坊の頃にフォーカスを当てていきたい。
Q生まれてくる時、俺は愛の中に居たのだろうか?
A居たと思う。
Qそん時の俺はどんな様子で何を思っていたのかな?
Aどうだろう。色んな事が興味深かったかもしれないよな。見るもの全部が新鮮で、周りにある物全部を理解しようとしていたと思う。
あぁ、そうな。この時点で俺は今みたいに何かに悩んだり、自分のダメさ加減に嫌気をさしたりしていなかったよな。
関係あるか分からんけど、ふと思い出した事があるので一応書いておこう。
俺には9月生まれの2つ歳の離れた兄が居るんだけど、3歳の誕生日(僕は4月生まれ)に、
「これで1歳差になった。もうすぐで追いついて追い越せる」
ケーキについた蝋燭の火を消しながら、そんな事を思っていた事を思い出した。
俺が思い出せる中で、1番古い記憶のエピソードでした。
この時は本気で兄に追いつき、追い越そうとしていたのだ。我ながら中々可愛い子供だなって思うけど、待てよ?
この時は自分自身に不可能を感じていないのでは?
「僕に不可能はない」
何でも出来る。本気で思っていたし、そしてそれに向かおうとしていたな。そもそも「不可能」という概念がなかったのでは?
てか、3歳の誕生日の瞬間にそう思っているって事は、既にその前から自我が芽生えて自分自身の意思と考えを持っている。
3歳の誕生日で、兄に一歩近づいた事を喜んでいたという事は、何か兄に近づきたいと思う様な出来事があったりしたのではないのだろうか?
そしてそう思うって事は、小さい俺の中にも「希求」があるってことだ。
希求。それ即ち、己の希。
小さな小さな子供にも「希」がある。
あ、分かった。俺の1番古い記憶が自分の誕生日の瞬間の理由が。
俺の「希」を達成した瞬間の記憶なんだ。
えーっと、順を追って説明してみよう。
小さい子供、それこそ赤ん坊にも自分だけの希求があると、上記の中で理解した。
そして赤ん坊の頃の俺が何を望んでいたのかを思い出そうとしてみた瞬間に、
「嫌な記憶は忘れるもの」
ってどこかで知った話を思い出した。
「赤ん坊の頃、俺が思う嫌だって感じた記憶や出来事って何なのだろうか?」
そう考えた時に、
「自分は無力だと絶望したんだと思う」
ってふと思ったのだ。
きっと赤ん坊の頃の俺には多くの希があったんだと思う。こうしたい、これがしたい、あれをしたい。
数え切れない多くの希があったのだと思う。
が、環境故か、それを達成する事は出来なかった。
そしてその体験は自分自身を無力な存在だと認識して受け入れてしまう様な出来事だったのだろう。
そうした苦しい積み重ねから、俺は自分自身の記憶を消してしまったのではないのか?
多分防衛本能ってやつだと思う。幼い頃に抱えたトラウマとかは大きくなった時に、色んな場面で影響してくる。
そうした影響を出さない様に、嫌だった記憶は忘れていったんだと思う。
その中で、
「歳を重ねて兄に近づく」
という俺の望みは、達成出来たからこそ色濃く俺の中に残り続けているんだろう。
今でも、あの瞬間に俺の人生が始まった様な感覚がある。人生が始まったというより、あの瞬間に俺の自我が芽生えた様な感覚だ。
そうか。自分の望みは本来叶えて当然のものなのかもしれないな。
「歳を重ねて兄に追いつき、そして追い越す」
という目標を持っていた俺は、そこに不可能を見出していなかった。本気でそれを達成しようとしていたという事は、自分自身は何でも出来ると思っていた訳だから、その目標も叶えて当然の目標なのだ。
で、何でも出来る存在である自分が、何も出来ない無力な存在だと思い込んでしまったからこそ、記憶を消し去っていったんだろう。
3歳の誕生日の記憶があるという事は、アレが俺の望みを達成した瞬間だから、全知全能の感覚とでもいうのだろうか?自我が芽生え、「俺」という人生が始まった様な感覚があるのかもしれないな。
ちょっと支離滅裂気味で読み辛いかもな。勢いで書いてるから勘弁です🙏
思い出している内に思い出してきたわ。そういえば、小学生とかそれこそ幼稚園の頃には既に自分が赤ん坊の頃の記憶を思い出せない事を不思議がっていたな。
「赤ちゃんの頃だから覚えていなくても仕方ないかもね」
赤ん坊の頃のエピソードとかを聞いても思い出せない事を、
「そういうもんなんだ」
って受け入れていたな。
なるほどなぁ〜、そうかそうかやっぱり赤ん坊の頃は俺の根幹は愛だったんだな。で、多分今も愛だ。
なんて言うんだろう。愛に包まれている時って、無敵って感じしませんか?
うーん、書き方が直球過ぎてどう表現していいものか?
うーん、また一つ僕の昔話を。
〜 愛は全てを調和する 〜
へ続きます。
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