前回の続き


愛とは何かについて考えていこうとしたら、ふと子供の頃の話を思い出したのでそれについて思いを馳せていた。

そこで自分の状態とかを思い出していった中で、愛に満ち溢れている時、




「愛は最強だ」



という事を理解した。





以前こんな事があったのだ。





中学2年の時、彼女が出来た。

彼女から告白してくれたのだが、最初は付き合う事を躊躇っていた。というのも、その時の僕は好きな人に振られた傷が癒えたぐらいの時で、

「付き合ってもまた振られるのではないか?」

そういった不安があった。

彼女から告白された時は、そりゃめちゃくちゃ嬉しかったが同時に返事に困る俺も居た。

悩み考えまた悩んだ末に、付き合う事にした。

付き合った理由も、

「可愛いから」
「学校で話していて楽しいから」
「彼女が欲しかったから」

何より、振られた時のショックや悲しみを知っていたので、

「俺のこと好きになってくれたのに振ったら可哀想だな」

そういった思いから付き合う事にした。今にして思えば不純極まりない話だと思うが、当時の俺なりに真剣に考えて出した結論だった。




そんなこんなで付き合い始めた訳だが、3ヶ月も過ぎる頃には俺の彼女に対する想いはMAXを超えていた。

「限界突破で毎日ハッピー、世界は美しい!」

恋は盲目とはよく言ったものだと思う。1秒でも長く一緒に居たいと思うほど、俺の中で彼女に対する愛が育っていた。





ある日の事、俺は彼女の家の前で彼女を抱きしめていた。

世界で1番幸せだと思っていた。いや、そんな事すら眼中…………脳中になかった。ただ目の前の彼女を抱きしめて幸せの中に居たかった。

そんな幸せなひと時を過ごしていると、突然俺たちの耳元で








「ア゛⤴︎ァァァッー ⤵︎」








と言った低い男の呻き声が聞こえてきた。


その瞬間、彼女は悲鳴をあげて大通りの方まで駆け出してしまった。














「至極どうでも良い」








突然の呻き声を聞いても彼女が逃げ出してしまっても、俺の中に恐怖が芽生える事はなく、ただ彼女に対する愛だけが俺の胸を満たしていた。

泣いている彼女の背中を摩り「大丈夫だよ」と声をかけつつ内心では

「これが本場の心霊現象ってやつか」
「目の前でイチャついてるから突っ掛かりたくなったのだろう」

呑気にもちょっとしたアトラクションぐらいにしか思っていなかった。





余談というか軽い補足をさせて頂くと、彼女の家は日当たりの悪い暗い雰囲気の民家に挟まれた古びたアパートの2階で、一階が燃えて?倒壊しており雑草が生い茂っていた(普段は絶対に覗かないし、一階にはなるべく近づかない)。廃墟とまでは言わずとも、霊が出ても何ら不思議でない。というか普通に出ていたらしい。

彼女がアパートの階段を登っているとたまに足を掴まれ引っ張られたりして、脛をぶつけて怪我をしていたらしい。










すっごい長くなってしまったが、今回俺が言いたいのは、





自身が「愛」で満たされている時、愛は全てを調和する



というのが今回書きたいテーマである。




当時の僕が感じていた事を思い出して、そんな風に思ったのである。

自身の意識が「愛」に向いている時、何人たりとも自身を脅かす事は出来ないんじゃないか?



愛は恐怖に打ち勝つ。



愛って何?


という問いに対して答えるのなら、そういう風に答える事が出来ると思う。

でもそれだけじゃないと思う。

愛の本質って部分に目を向けた時、今の答えは愛の本質ってより、愛が持つ一側面に過ぎないんじゃないだろうか?副産物っていってもいいかも。

じゃあ愛って何だろう。






愛は至る所に偏在しているって感じか?




ちょっとそれを説明するってなると難しいな。何となくそう思ったから書いてみた。



うーむ、今まで何度も「愛」をテーマにした動画を我々のYouTubeでアップしてきたけど、こうやって自分1人で感じ考えるって中々無いからどうしたもんかね。




俺の中の愛について一旦考えてみるか。


俺に取って愛って何だ?


うん、我ながら良い質問なんじゃないか?シンプル且つ奥が深い。
そうだな、俺にとっての愛か。

俺にとっての愛って何だろう。

やっぱ男女間の愛とか?

もちろんそれも愛だとは思うけど、何かもっと純粋よな。俺の愛が打算とか不純な動機がない純粋なものだったら、上記の子(何やかんやあって振られました😂)と別れてないよな。
いや、待て。付き合い始めた根っこは確かに打算や哀れみみたいなものがあったかもしれないけど、恥ずかしいぐらいに彼女を愛し始めていたではないか。

という事は、




「愛は育むものなのではないだろうか?」




決して一目惚れでも何でもない相手でも、徐々に愛を育んでいけばその相手をとんでもないくらい好きになる事が出来るのではないのか?

ふむ、そうして考えると実に不思議なものだな。いつから愛ってのは始まるんだろうな。

何となく「この人良いな」って想いとかを、積み重ねていく日々の中で徐々に大きくしていき、ある日突然




「この人の事が好き」



って自覚するんじゃないか?

で、自覚したらもっとその想いが加速していく。いや、待て。もう無自覚の前から愛しているのでは?

その人の事を好きだって思う前からもう既に、無意識下で好きだって思っている。




ほうほう、じゃあ何だ?付き合う前からもう既に恋に落ちているのか?



いや、何だろう。愛は贈られてくるもんなんじゃないか?

誰から?

そりゃぁ、我らが創造主、我らの父、神からじゃないか?



いや、待て。俺の言葉と俺の意見で書いていこう。一旦、本とかで得た知識は傍に置いておけ。自分で感じ考えろ。





愛は贈られてくるものでもある。

と、同時に愛は既に自分の内側にある。人間の根幹には必ず愛が存在している。しかし、愛が居座ることの出来ない環境を自分自身が作り出してしまうと、愛はそこから離れざる終えなくなる。
愛が居座る居座れないは、自分の生き方によって決まる。愛は純粋なもので、純粋なところに居たいと思っている。愛は知識と気持ちを有したエネルギーで、我らと同じように生きている。


だとするのなら、愛は自分が居座りたい、共に在りたいと思う場所を選ぶ自由がある。



これが贈られてくるって感じる理由なのではないか?



愛がどこに在るかは愛の自由。

で、愛は人間を愛している。だからこそ人間1人1人と一緒に在りたいと願っている。しかし人間の生き方によって愛がその人と共に在れるかどうかが決まる。




「在りたいかどうかが決まる」



ふむ。って考えると、人間1人1人の内側に愛が存在している理由にも説明がつくか?

いや、まだ拙いな。自分自身で自分の答えに確信が持てていないという事はまだ何かがあるんじゃないか?もっと分かりやすくシンプルにまとめられる気がする。








「愛とは愛である」




多分究極的にはこういう答えになると思うんだ。
そしてこの答えに自分の愛に対する理解とかイメージが組み込められて、確信を持ってそれを言うことによって、そうなるんだと思う。





なんでだろうな。愛ってこうじゃね?って感覚がずっとあるな。
って事はまだまだ理解を深める余地があるってことだ。



あ、そうだ。さっき書いてた時にふと疑問がよぎったんだよね。





「自分の内側に在る『愛』と、贈られる『愛』一体何が違うんだ?」



これだ。この疑問が脳裏をよぎったんだ。それに答えられていないから、スッキリしてないんだ。

あー、待て待て。それに気づいたら

「恋人を愛するのと、家族や友人を愛するのとでは何が違う?」

そういった疑問も出てきたぞ。



友愛、博愛、慈愛、親愛、恋愛、純愛、寵愛、忠愛、寵愛、溺愛



色んな愛があるけど、愛って何なんだ?



深い、深すぎるぞ。このテーマ!!!!!!





自分自身を愛すると良いって聞くけど、自分自身を愛するって何だ?

自分を大切にするって事だろうか?何だろう、もっと深い。大切にするじゃ飽き足らないよな、きっと。





うわ、深い。マジで深い。面白すぎるテーマだぞ、これ。


絶対に自分自身の答えを出したいな。

日々の生活の中で感じ考えていけば見つかるのかな?



あ、一個思った。



こうして愛について想い馳せる事が、自分自身の愛を育んでいってるってことにならないか?


俺の中で「愛」という概念、愛と云うエネルギー、気持ちが育っていく。

今すぐ答えを出せなくても良いけど、感じ考え続ける事は絶対に大事よな。きっと。







よし、今日はこれぐらいにしておこう。

ちょっと脳みそ休めたいわ😁





本日も読んで頂きありがとうございます、また次回の記事をお楽しみに👋











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