久しぶりに書いていく。
何から書いていこうか。ここ最近知らず知らずの内にストレスを溜め込んでいたらしい。
うーん、正確にはそれが爆発したというべきだろうか?
多分塵も積もれば何とやらってやつだと思う。それこそここ最近のストレスじゃなくて数年単位のストレスだったのかもしれない。
とにかく昨日突然爆発した。
爆発して何が起きたかというと、簡潔に言うと頻尿?が起きた。
膀胱に尿が溜まる事となく、そのまま尿道に来てしまうというか。漏れる一歩手前状態が常に続いている感じだ。
実際トイレに行ったら少量の尿が出る。だからこそ気を抜けないというか、気を抜いたらパンツに染みを作りかねないので堪えている?別にそんなに苦じゃないが、いつまで経ってもスッキリ感がないので普通に鬱陶しく思う。
本日病院にいってエコーで診てもらったのだが、どこにも異常は無かった。
そういう時は基本ストレスが原因らしい。
俺はストレスを甘く見ていた。知らず知らずの内に色々なものにストレスを感じていたのかもしれない。
多分、原因は自己批判精神だ。
俺は無意識にしろ有意識にしろ、自己批判の精神が強いのだ。だからこそ完璧症候群を発症していたり、自分から生み出る作品も納得が出来なかったりする。
自分なりに色々工夫はしていたが、休んでいる時でさえ「休んでいる自分」が許せなかったのかもしれない。このままじゃダメだって具合に。
そんな風に自己批判を続けているから、一度立ち止まってしまうと再び出発するのが大変なのだ。とにかく力がいるというか、まぁ再始動まで長い停滞を生む。
そしてその停滞も自己批判っていう終わらない自己批判が自分の内に起こっていたのだろう。
別に毎度毎度ご丁寧に自己批判している訳でも、自己批判にいちいち落ち込んだりはしていないのだが、きっと知らず知らずの内にストレスになっていたのだろう。そこに他のやるべき事や色んな事が重なって、自分に余裕が全くない状態だった。
故に爆発した。必然だったのだろう。それが尿漏れ?残尿?頻尿?という形になって現象として目に見える状態で現れた。
俺は自らをそこまで一杯一杯にしてしまっていたんだなって事にそこで初めて気がついた。
「この程度で」
って自分でも少し、ほんの少しだけ思うけど、でもそれだけ長い事俺は俺の自己批判に耐えてきていたんだなって思う。
それにここ最近は少し自分の感性が豊かになってきたかもしれないなって思っている。感性が豊かになってきているからこそ、自分の心の機微に敏感になっているのだろう。今までは感じないで、感じない様にしていたストレスも今ではしっかり感じているのだろう。
これを吉と捉えるか凶と捉えるかは俺次第なのだが、きっと良い兆候なのだろう。何故なら感性が開いてきているのだから。
幸いな事に尿が漏れそうになる時痛みはない。ただ膀胱に溜まらずそのまま出そうになるだけなのだ。
ええっと何を言おうとしたんだっけ?
あぁ、そう。痛みがない状態で理解出来たって事が言いたかったんだ。体や魂からのメッセージを無視し続けると色んな形でメッセージを届けようとすると思うのだが、限界を超えた先の状態を更に超えた時、もしかしたら痛みとなって伝えてくるのかなって思う。だから俺の場合は痛みがない段階で自分の状態に気づけたのはラッキーだと思う。
だからこれからは自分自身を責めるのを完全に辞めていこうと思う。
思うに俺は怖かったのだろう。
「他人に責められる」のが。だからこそ誰かに責められる前に自分を罰したり、責められそうな懸念点を自分で刺して潰していたんだと思う。
そうやって自分の事を守ろうとしていたんだと思う。
自己批判について考えてそう思った。
俺は自分の事を守りたかったんだと思う。だから完璧じゃない隙がある自分を世に出すことなんてしたく無かったし、誰にも悟られる前に自分で何とかしたかった。隠して閉じ込めておきたかったのだろう。
何で自分でもこういう自分の守り方をするのかは分からない。もしかしたら前世からのものかもしれないし、両親に似たのかもしれないし、先祖由来のものかもしれない。それが全部混ざってミックスされたものかもしれない。俺の魂がそういう守り方の癖を持っているのかもしれない。
ただ言えることは、もうこういう守り方はしなくて良いんだなってことだ。
何故ならもう限界だと体を通して魂が訴えているからだ。
自分が自分の敵であるってどれだけ大変なのか本当に身に染みたよ。自分の内側で終わらない大戦争が起きてるっていうんだから。そりゃぁ計り知れないストレス抱えていく事になっていくわ。
調和とは程遠いよな。
ただ、もう痛いほど理解したよ。そういった小さなストレスを少しずつ改善して上げるのって凄い大切なんだなって。何より心の底から自分を愛してあげるんだと。
自分の味方は常に自分で在れ。まずはそこからだな。
そうだ。自分の心の声というワードで一つ思ったんだけど、心の叫びが尿漏れという形で現れたんだとしたら、俺の肌荒れとかもそうなのかもしれないな。
俺の肌は結構荒れやすい。顔の肌はしょっちゅうだし、右手の指の肌は一年くらい前から荒れている。少しずつ良くなってきてはいるが、左手が綺麗なのを見ると「早く綺麗にならないかな」って思わずにはいられない。顔もそうだが、中高生の頃はそれこそ家系を恨んだりもした。
「友達は皆んな綺麗な肌をしているのに何で自分だけ、俺は何でこんな肌で生まれちまったんだ」
やり場の無い怒りと悲しみに苛まれた日もありました。少し脱線しちまったな。
そう、肌。これって表面にあるもの。肌にはその人の状態が現れる。つまり表現される。
ということは俺はずっと前から自分の表現に何かを悩んでいたのかもしれない。それこそ友人関係だったり学校の先生、部活、先輩後輩顧問、テスト、上げたらキリが無い程に大小様々なストレスを抱えていた。そんで多分自分の内側で色んな事感じ考えていたんだと思う。それでも自分の感じた事や考えている事を表現出来なくて、それが肌に現れたんじゃ無いかと思う。
思うに俺はずっと何かを表現したかったんだろう。
だからこそ小説家というものに憧れを抱いて、それを目指したんだと思う。ただ、思い描いた状況にはずっと成れなくてそれでまた自分を責めてストレスになっていたんだろうな。そのストレスをどうにか解消しようと無意識にしろ有意識にしろ何とかしようとしていたけど、やっぱり本懐である
「自己表現」
をずっとしていなかったからこそ、何をしていても心の底からリラックスする事が出来なかった。ん?いや、友達と心の底そこから笑い合える空間に居たり作れたり楽しんだりすることは出来たから別にそこまで沈んでいた訳じゃないか。いっときは忘れる事が出来ていた。あぁ、そうか忘れているだけでなくなっていた訳じゃ無いのか。そりゃぁストレスも無くならないし、肌も綺麗になっていかない訳だ。
ブレーキかけたら涙も引っ込んじゃった。さっきまで鼻水ズルズルで書いてたのに。おしっこ止まらない次は鼻水と涙が止まらなくなってたのに、あっさり引っ込んじゃった。まぁいいか。
そろそろ総括に入る頃合いなのかもしれないな。
長くなっちまったけど、俺は長年の間自分との終わらない戦争をしていたんだって事に今日やっと気がつけた。
自分の内側の自己表現を自己批判によって攻撃し続けていた。
そのストレスと他の日常生活の大小様々なストレスが重なって、昨日俺の体は爆発した。日常の中の大小様々なストレスも多分自己批判精神からくるものだと思うけど。
そんでその自己批判精神の正体は、自分を守る方法をそれしか知らない俺自身から来るものだった。もしかしたらもっと深いところなのかもしれないけど、俺はそういう自分の守り方を選んで自分を傷つけてしまっていたようだ。
だからこそ、これからは自分をもっと褒めて上げようと思う。今まで責め潰してきてしまっていた分、それ以上に自分を褒めて大切にしていこうと思う。俺の味方はいつだって俺自身なのだから。
長くなっちまったけどそんな感じかな。きっと文章とかひでぇ事になってるだろうけど、自分の内側の声って大体こんな感じであっという間で支離滅裂だよな。それをそのまま表現出来て良かったわ。
身近に出来る自己表現第一歩だな。うん、良くやった俺。
なるほど、確かに自分の称賛が1番効くな。常に自分が1番大事なんだよな。良く分かったよ。
今日が俺の終戦記念日や!
何はともあれまずはゆっくり休もうや!先の事を考えるのはその後にしよう!
お疲れ!
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