私は、その昔、中学受験で全敗して地元の公立中学に行きました。

当時、小学校も荒れていましたし、もちろん中学も荒れていたので、そこから逃れるために仕方なく挑戦した中学受験でした。

あの頃は必勝ハチマキを巻いて、先生にビンタされながら「御三家目指すぞ!!」とやっているスパルタ塾がテレビで取り上げられ、生徒が殺到している時代でした。
私はとてもそんな恐ろしい塾には入りたくなかったので、近所の小さな塾にほぼ毎日通って自勉していました。

塾の先生も親も、毎日まじめに通う私を「偉いねえ」と褒めてくれたので、多少はその気になっていたのですが、見事に全部落ちてしまいました。
理由は簡単で、「できない問題はやらなかった」からなんです。毎日塾に行って「自分が解ける問題」だけ、何度も何度も解いていたんです。(塾の先生も、気付いてくれよ!)

忘れもしない、入試の時に「あー、これ苦手で、いつも見て見ぬふりしたヤツだ」という問題ばかり出たので、長介のように「ダミダコリャ」と思いました。なので、合格発表を見に行った母が、帰宅後残念そうに「ダメだった・・・」と言った時、私は「やっぱりな」とそれほどショックはなかったのですが、家族はやたらと気を遣ってくれて逆に気まずかったのを覚えています。

その時に学んだ「入試には自分が嫌いな問題が出る」ということは3年後に生きるわけですが。

ちなみに不良だらけの中学校生活はとてもエキサイティングで、かわいい女の子もたくさんいましたし、今でも毎週飲むのは中学の同級生だったりするので、人生万事、塞翁が馬です。

さて、息子との受験勉強を始めたときに、「落ちたらどうしよう問題」を真剣に考えました。

早慶附属を目指すためにはそれ相応の問題演習量が必要で、よほどのモチベーションがなければそれらをこなすことはできない。本人のモチベーションが上がらないときには、不本意でも鬼になってプレッシャーを与え、勉強に集中させる必要がある。でも、そこまでするメリットが早慶附属にはある。

と思う一方で、

早慶附属を強く目指せば目指すほど、落ちたときのショックは大きくなり、それ以外の高校に「仕方なく通う」ようなことになりかねない。そういう気持ちで大切な高校三年間を過ごしてほしくない。
早慶附属のメリットは確かにあるが、早慶じゃなかったら不幸になるとか、早慶以外に意味がないということではないし、人生の目的は早慶に入ることではなくて、幸せに生きることだということを忘れないでほしい。

矛盾してしまうのですが、そういう思いもありました。

普通の短大を普通に卒業した妻は、この考えに近く、私は何度も何度も「ソーケーソーケー言い過ぎ!」とたしなめられました。

結局は、その2つの思いがあることを正直に息子に伝え、後は息子に任せることにしました。

結果的には、息子は早慶を狙えるだけの勉強はしませんでしたし、早慶を落ちたときも「まあ、そうだよね」と中学受験の時の私のようにあっさりしていましたし、ギリギリ引っかかったMARCH附属に行くのを楽しみにしているので、我が家はこれで良かったと思っています。人生万事、塞翁が馬です。