【※注意】

 このブログは、投稿順に時系列で全ての出来事が繋がっています。記載された全てはノンフィクションである。




 確かに前触れはあった。私は自分が所属する組の「本部」へ呼ばれることが多かったこともあり、多くの叔父貴達の異変を感じていたのも事実だ。



 本部での定例幹部会には数十人の幹部が集まる。大きな組では幹部といっても、それぞれに自分の組を構え多くの組員を持つ立派な組長たちだ。



 その幹部会が開かれるたびに険悪な雰囲気が事務所内にたちこめていることは、当時の私でも直感するほどだっだ。



 そして、最も懸念していた事態が起きた。親分と総本部長vs副組長と若頭との意見が割れ同組内での親子兄弟間で二つに組が割れてしまった。



 他団体との抗争ではなく、同じ組内が割れるということは、昨日まで同じ釜の飯を食っていた身内での殺し合いを意味する。



 前筆したように、私が所属した組は各地方に傘下組織が存在し組員数は1,500人を超える大きな組だ。



 そんな大所帯の組が二つに割れた瞬間から抗争へと発展する。そして本部からは、副組長と若頭、そして両者についた執行幹部に対し「絶縁状」が全国の暴力団組織へ通達された。



 黒文字の「破門状」と赤文字の「絶縁状は、同じ破門でも意味合いが全く異なる。



 黒文字での破門状は2年前後で暴力団組織へ復帰することは可能だが、赤文字の絶縁状は三代目◯健組はもとより本家の山口組、さらに全国に存在する他団体の多くの暴力団組織との付き合いはおろか、二度と暴力団組織への復帰は不可能であることを意味する。


絶縁からの復帰はごく稀に一部、時と場合によって暴力団組織に復帰する特殊なケースも存在する。例えば絶縁した組が解散もしくは、その組が本家や上部団体より絶縁を受けた場合、その組が代替りした時などなど諸々)


 

 これらが意味することは、もう両者とも確実に後戻りはできない。即ち抗争は絶対に避けては通れないことを意味する。



 私は、親分からの親子盃を交わしていたので本部側となるが、副組長と若頭、その側についた執行幹部達もそれ相応の構成員を持つ名の知れた組長達である。



 そして三代目◯健組内でも武闘派で名の知れた組織であったため、(当時五代目)山口組系だけに留まらず暴力団業界、そして各地方の警察当局からも注目を集めたことは説明するまでもない。



 指定暴力団とは組織であり完全なる縦社会だ。愚連隊や「半グレ」などとは全く異なる。異議を唱える権利など組員には存在しない。



 それぞれが所属する親分や若頭、叔父貴となる執行幹部に従順に従うことは裏社会組織、指定暴力団員として当たり前のことでもある。



 そして同組内が二つに割れたことは、とても厄介なことでもあった。何故なら、私達が今まで教わり続けてきた所作やボディーガード、組織が的にかけた者を確実に暗殺する術を、お互い徹底的に叩き込まれている者達が多く在籍しているということだ。



 三代目◯健組内でも超武闘派で名の知れた組内での抗争は、どこの組織の親分衆も仲介人として入り難い。こういったケースでは大義名分は「本部」側となるからだ。



 親分から正式に親兄弟の盃を受けた者が、あろうことか組を割ることは逆縁・逆盃と言って、極道社会では大罪とみなされ御法度であり、その者達に大義名分は一切与えられない。



 しかし、組を割って出た者達もまた、裏社会に長年身を置く極道であるがゆえ、あちら側にもそれなりの大義名分をかざすと同時に、どちらが先に殺るか殺られるかを重視しなければならない。



 このような事態となれば、円満な解決方法など存在しない。本部としては周囲の関係組織に対する面子もあるがゆえ、逆縁・逆盃をした者達を徹底して早急に始末する必要がある。



 そして不運は重なるものだ。抗争勃発時に(当時)三代目◯健組組長は警察当局へ逮捕勾留され不在であると同時に若頭は不在、組長代行はウチの親分とは五分の兄弟分であったため、実質三代目◯健組内にウチの親分を説得できる人物は存在しない。



 当然の事ながら親分は組を割り自分の顔に泥を塗った者達を許す訳がない。あろうことかNo.2である副組長や、多くの組員を取り纏める存在でもある、若いモン頭の若頭の両名、また親分直属の執行幹部までが組を割ったのだから尚更である。



 山口組本家はもとより三代目◯健組本部や世間の多くの同業者から重視されることは必然であり、そして極道社会とは世間体をとても重視する業界だ。



 前記したように暴力団同士の、まして同組内での抗争となれば、即座に「こと」を成し遂げることは必然であり、その「こと」の意味とは、直ちに抗争相手の副組長や若頭や舎弟など重要幹部の暗殺を遂行することである。



 暴力団組織へ入門した時から「殺られる前に、殺ってまえ」と叩き込まれ教育されてきた。

抗争となった日から私の懐中には常に道具を持ち、親分をはじめ多くの執行幹部のボディーガード兼運転手をしていた。



 暴力団の抗争には、とても金がかかる。その資金集めにも同席することも多く経験した。同時に、抗争中にある相手のシノギを潰しにかかることも必然である。



 そして、抗争から1ヶ月が経つ頃には「本部」から数人の幹部組員の姿が消えた。それが意味することは破門された訳ではない。組が的にかけた者を確実に殺めるための暗殺部隊が構成され動き出したことに繋がる。



 もちろん、暗殺部隊だけではなく私たちもまた、常に懐中には弾がぎっしり詰め込まれた道具を持ち、不測の事態(まちがい)が起きないよう常に周囲を観察し行動する。



 懐にある道具は飾りや脅しのオモチャではない。組からは決して外部に漏れないように数名の暗殺者名簿も渡されていた。



 私たちは先ずはじめに副組長が率いる組の若頭を的にかけた。同組内での抗争であったこともあり、主だった執行幹部の行動範囲やシノギ、愛人に至るまで全てを把握している。



 元副組長(副長)の組の若頭を拘束するのに時間は掛からなかった。柄さえ押さえれば後は簡単なことだ。身動き取れないよう拘束し、口に道具を突っ込み「本部へ戻るか、今すぐカタギになるかこの場で選べ」の二択を迫るだけのこと。



 第三の選択肢は与えない。相手が間違った答えを出した瞬間、道具は飾りや脅しのオモチャではない。その頭を吹き飛ばされることは本人が一番理解しているだろう。



 この状況で啖呵を切れる者はなかなか居ない。若頭でさえ、あっさり本部へ戻ることを選択した。前記した通り大義名分は此方の「本部側」にある。逆縁・逆盃をした者の中には、命を賭してこの抗争に勝つなど心底思っていない者も多く存在した。



 殺されても犬死みたいな扱いであることは本人が一番理解していることだ。副長の組の若頭でさえ、銃口を口に放り込まれ「ここで犬死するか再び暴力団員として現役を続けるか」と問われれば、現役を選択せざるを得ない。



 時にはイケイケで渡世に名の知れた幹部を拘束し山の奥地に連れて行き、手足を拘束した状態で、頭からガソリンをかけ、隣でタバコに火をつけながら「今すぐ引退か本部での現役復帰か」を冷酷極まりない状況下のもと問いかける。



 それまで「ワシも極道20年以上しとんねん。獲れるもんなら殺ったらんかい」などと啖呵を切っていたイケイケも、さすがにこの状況で啖呵を切り続けることは容易ではない。



 自分が生きたまま焼け死に、骸は誰にも見つからない山中奥深くに埋められ、その20年以上の極道人生の生涯を一瞬で終えることによって、なんの功績が与えられるのか、いくらこれまでイケイケの極道として渡世に名を馳せた者とはいえ、土壇場で正気に戻るものだ。結果は明記するまでもない。



 こうして一人、また一人と抗争相手の主だった執行幹部を確実に本部側へ復縁させると同時に、抗争相手の組員たちの士気を削ぎ落としてゆく。中には、相手組織から脱退し本部への復帰を懇願する者も少なくはなかった。



 だが、何度も繰り返すが、相手も同じ組で教育された者達だ。明日は我が身だと日々肝に銘じつつ、抗争は続いてゆく。こんな死と隣り合わせの生活を送るなか何度か抗争相手と出会し銃撃戦もあった。



 車での銃撃戦があった日、事務所へ帰って車を見ると防弾仕様にしていた車輌に幾つもの弾痕が確認できた。もし一発でも自分に命中すれば命に関わることは説明するまでもない。



 相手も同じ暴力団だ。撃ってきたらその倍は撃ち返せ。「獲られる前に獲ってまえ」と同じく教育された者達だ。



 そして、誰も仲介人のいないこの抗争は更に激化の一途を辿ることとなる……



 そんな状況下を兵庫県警警察本部や大阪府警4課の組織犯罪対策課(通称・組対・ソタイ・業界用語で 暴力・ボウリキとも云う。現在ではこの4課・組織犯罪対策課・通称 組対・ソタイはその名を変えている)が黙って見過ごす訳もなかった……