医事法の論点(4)医療関連資格と医療機関 | 線路の外の風景

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 今回の記事では、医師とそれ以外の医療関係資格との関係、医療機関に関する規律を取り上げます。

 

1 医師以外の医療関連資格

(1)歯科医師

 歯科医師は、わが国において唯一国家資格とされている専門医師(特定の医療分野を専門とする医師)であり、その法的規律は歯科医師法に定められています。歯科医師となるには、大学で歯学の課程を修了して国家試験に合格する必要があり、診療に従事しようとする歯科医師は、1年以上の臨床研修が義務づけられています。その他、歯科医師に関する規律は、医師法第21条に相当する規定が無いことを除けば、医師に対する規律と概ね同様のものになっています。

 歯科医師の独占業務とされている「歯科医業」の範囲は、まず歯の補綴・充填・矯正といった技術的行為であり、これらは歯科医師だけが行えるものであり、通常の医師が行うことは出来ません。次に、口唇・口腔・舌・上下顎といった口腔外科領域の診療が挙げられますが、これらは歯科医師のほか、通常の医師も行うことが出来るとされています。さらに、歯科医師は歯科診療に関連する投薬・麻酔・放射線投射等も当然に行い得るとされています(『医事法講義』62~63頁)。

 歯科医師は、医師と同等の国家資格とされていますが、医師に比べると独占業務の範囲はかなり狭く、また近年は過当競争に陥っているためその人気も低下しており、将来的には質の低下も懸念されています。

 

 なお、わが国における歯科医師以外の専門医は、医師国家試験に合格し臨床研修を終了した医師が、それぞれの専門分野で実務経験と研鑽を重ね、専門医としての認定を受ける仕組みになっていますが、専門医の認定は民間に委ねられており、認定制度も一般社団法人日本専門医機構が認定する専門医と、各基本領域学会が認定する専門医制度が併存し、一般国民には分かりにくいものになってしまっています。

 

(2)保健師・助産師・看護師・准看護師

 保健師助産師看護師法では、保健師、助産師、看護師及び准看護師の資格制度について定められています。

 看護師は、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者や褥婦に対する療養上の世話や、医師又は歯科医師が行う診療の補助を業とする者であり、准看護師は、都道府県知事の免許を受けて、医師・歯科医師・看護師の指示を受けて、看護師と同様の業務を行う者とされています。看護師になるには、原則として大学の看護学科などを卒業し、看護師国家試験に合格する必要がありますが、3年以上の実務経験を積んだ准看護師が、修行を受けて看護師になる道も開かれています。

 保健師は、看護師の業務に加え、保健指導も行うことが出来ますが、保健指導に関する業務独占は認められておらず、また傷病者に対する療養上の指導は、主治医の指示を受けて行う必要があります。保健師となるためには、看護師国家試験と保健師国家試験の両方に合格する必要があります。

 助産師は、看護師の業務に加え、助産又は妊婦、褥婦、新生児の保健指導を行うことができますが、女子しかなれないものとされています。正常分娩については、助産師が単独でこれを行うことが出来ますが、異常を認めた場合の処置は、緊急時を除き、医師が行わなければならないものとされています。助産師となるには、看護師国家試験と助産師国家試験の両方に合格する必要があります。

 同法第37条では、保健師・助産師・看護師・准看護師は、主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合を除くほか、診療機械を使用し、医薬品を授与し、医薬品について指示をしその他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならないと定めており、医学の分野では、これらの医療従事者が医師や歯科医師の指示を受けて行うことが出来る「相対的医行為」と、医師や歯科医師の指示による場合でも行うことの出来ない「絶対的医行為」の区別が議論されてきましたが、近年ではチーム医療の促進のため「相対的医行為」の範囲が拡大される傾向にあり、従来は絶対的医行為とされてきた静脈注射も、現在では看護師が行い得るものとされています。

 また、実践的な理解力、思考力、判断力及び高度専門的な知識や技能が必要であるために従来は「絶対的医行為」とされてきた行為についても、同法第37条の2で定める「特定行為」として厚生労働省令で定められたものについては、特定行為研修を受け、医師又は歯科医師が行う診療の補助として手順書により行うことを条件に、看護師が行うことも認められています。

 

(3)その他の医療従事者

 上記以外にも、医療従事者に関する国家資格制度は多く、医師や歯科医師の業務を一部分担する資格には、保健師・助産師・看護師・准看護師のほか、薬剤師、診療放射線技師、歯科衛生士、歯科技工士などがあり、看護師等の診療補助業務を一部分担する資格には、臨床検査技師、理学療法士・作業療法士、視能訓練士、臨床工学技士、義肢装具士、救急救命士などがあります。

 これらの国家資格については、ほとんどが法律で名称独占を定めており、当該資格を有しない者が有資格者と名乗ることは禁止されています。唯一、歯科技工士については名称独占を定めた明文の規定はありませんが、歯科技工の業や歯科技工所に関しては、何人も歯科技工に従事する歯科医師又は歯科技工士の氏名その他一定の事項を除き広告をしてはならず、その内容が虚偽にわたってはならない(歯科技工士法第26条)とされているため、同条が実質的に歯科技工士の名称独占を認める役割を果たしていると解して差し支えないと思われます。

 また、業務の範囲は資格ごとに決められているところ、医師や歯科医師は万能資格と位置づけられており、歯科衛生士や歯科技工士の業務は歯科医師も行うことが出来るとされているほか、その他の補助資格に関する業務は医師も行うことが出来るとされています。こうした各種医療従事者の業務区分については、その役割分担が流動化している医療の現実を踏まえ、形式的な区分のあり方そのものを批判し、個別事情を考慮した柔軟な業務分担の必要性を主張する学説もあるものの、そのように新たな役割分担の法的枠組みを構築することにも多くの困難があると考えられ、医事に関する資格制度は多くの課題を抱えています。

 

2 主な医療機関等の種類

 医師に関する規律は「医師法」で定められていますが、病院その他の医療機関に関する基本的な規律は、「医療法」という別の法律で定められています。ここでは、医療法やその他の法律で定められている主な医療機関等の種類を見ていきます。

(1)病院(医療法第1条の5第1項)

 病院は、医師又は歯科医師が、公衆又は特定多数人のため医業又は歯科医業を行う場所であつて、20人以上の患者を入院させるための施設を有するもの、と定義されています。

(2)診療所(医療法第1条の5第2項)

 診療所は、医師又は歯科医師が、公衆又は特定多数人のため医業又は歯科医業を行う場所であつて、患者を入院させるための施設を有しないもの又は19人以下の患者を入院させるための施設を有するもの、と定義されています。

(3)助産所(医療法第2条)

 助産所は、助産師が公衆又は特定多数人のためその業務を行う場所で、病院や診療所に該当しないものをいい、助産所には妊婦、産婦又は褥婦10人以上の入所施設を有してはならないとされています。

(4)薬局(薬機法第2条第12項)

 薬局は、薬剤師が販売又は授与の目的で、調剤の業務並びに薬剤及び医薬品の適正な使用に必要な情報の提供及び薬学的知見に基づく指導の業務を行う場所をいい、その開設者が併せ行う医薬品の販売業に必要な場所も含まれます。

 なお、薬局や医薬品等に関する規律を定めた法律は、従来「薬事法」と呼ばれていましたが、平成26年11月の法改正で正式名称が「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」に改称され、通称「薬機法」と呼ばれるようになりました。

(5)歯科技工所(歯科技工士法第2条第3項)

 歯科技工所は、歯科医師又は歯科技工士が、業として歯科技工(特定人に対する歯科医療の用に供する補綴物、充填物や矯正装置の作成、修理、加工)を行う場所とされています。

(6)施術所(あはき法第7条、柔道整復師法第19条)

 あん摩業、マッサージ業、指圧業、はり業、きゅう業、または柔道整復業を行う場所を「施術所」といい、施術所の開設は届出制となっています。

(7)衛生検査所(臨床検査技師等に関する法律第20条の3)

 人体から排出され、又は検出された検体の検査を業として行う場所をいい、開設には都道府県知事等への登録が必要とされています。

(8)介護老人保健施設(介護保険法第94条以下)

 要介護者に対し、施設サービス計画に基づいて、看護、医学的管理の下における介護及び機能訓練その他必要な医療並びに日常生活上の世話を行うことを目的とする施設として、都道府県知事の許可を受けたものとされています。

(9)介護医療院(介護保険法第107条以下)

 要介護者であって、主として長期にわたり療養が必要である者に対し、施設サービス計画に基づいて、療養上の管理、看護、医学的管理の下における介護及び機能訓練その他必要な医療並びに日常生活上の世話を行うことを目的とする施設として、都道府県知事の許可を受けたものとされています。

 なお、介護老人保健施設や介護医療院は、医療法の病院や診療所ではない旨が法文上明記されていますが、医療法の規定が一部準用されているほか、これらの施設を開設しようとする者が、医療法の規定に基づく医療法人を設立することも認められています。

 

3 病院及び診療所の開設規制

 これらの医療機関等について、それぞれ詳細な説明をしていたら、この記事を読んでいる方も細かすぎて発狂してしまうでしょうし、書いている管理人も発狂してしまいますので、以下は医療法上の病院や診療所に限定して説明します。

 法定の臨床研修等を終えた医師や歯科医師が、診療所を開設した場合には、開設後10日以内に、所在地の都道府県知事等に対する届出をする必要があります(医療法第8条)が、許可等は必要とされていません。

 医師等が病院を開設しようとする場合には、都道府県知事等の許可が必要とされています(医療法第7条第1項)が、一定の設備や人員等の要件を充足していれば、原則として開設を許可すべきものとされているため、こうした法制度を一般的には「自由開業制」と呼ばれています。こうした自由開業制は、わが国における医療機関法制の大きな特徴であり、欧米諸国における病院のように、慈善施設として長い発達の歴史を持っているところとは対照的とされているほか、自由開業制により医師の独立開業が容易となっていることは、病院勤務医の不足を招く一因になっているといった指摘もあります。

 医療法の定める病院開設の要件は、次のとおりです。

(1)一般的設備要件

 病院や診療所の構造設備に関する基準は、換気、採光、照明、防湿、保安、避難及び清潔その他衛生上の観点から、医療法第23条による委任を受けた、医療法施行規則第16条で詳細に定められており、これらの要件を満たしているか否かが、審査の基準となります。これらの要件は、診療所についても満たしている必要がありますが、病院の開設にあたっては事前審査の対象となるところが、診療所とは扱いが異なります。

(2)病院固有の設備・人員要件

 病院の開設に関する許可の権限は、保健所が置かれている市や特別区については当該市長・区長に、それ以外の地域については都道府県知事に委任されていますが、都道府県知事等は病院開設に必要な看護師等の員数や施設について、条例で独自の基準を定めることが認められており、病院を開設するにあたっては、医療法第21条に掲げる人員及び施設のほか、条例で定められている基準も満たす必要があります。

 医療法における病院開設時の員数規制は、計算方法があまりにも複雑なため説明は省略しますが、病院開設時には規制を上回る定員の確保を必要とするものの、開設後に定員を下回ったとしても直ちに病院の開設許可が取り消されるわけでは無く、増員命令や業務停止命令などの対象になり得るに留まっています。

 もっとも、現行の員数基準は、例えば看護師については概ね入院患者3人あたり看護師1人を割り当てることになり、平均的な病棟1区画の入院患者40人に対し割り当てられる看護師の数は13人程度となりますが、これでも夜間勤務は2人体制となってしまう可能性が高く、医療事故を防止するのにこの程度の員数規制で十分か、などという議論が続けられており、また地方都市では医師や看護師の不足により、病院機能の維持に支障を来す事例も散見されているということです。

(3)営利目的でないこと

 病院の開設が営利を目的としている場合には、都道府県知事等は、許可を与えないことができるものとされています(医療法第7条第7項)。戦前のわが国においては、病院の開設に関する法規制が十分でなく、医師で無い者や営利企業による病院開設が多く行われ、医療の商品化や誇大広告の蔓延といった弊害が生じていたため、昭和23年に成立した現行の医療法は、医療は非営利で行われるべきとの理念に基づき、営利目的とみられる病院の開設を許可しないことが認められています。

 ただし、戦前に開設された株式会社由来の病院、国鉄や各種公社の民営化により株式会社が開設者となっている病院は現実に多数存在しており、現行医療法の下においても、病院の営利性が完全に排除されているというわけではありません。

(4)医療計画に適合していること

 病院の開設にあたっては、都道府県の定める医療計画に適合しているか否かも審査の対象となります。しかし、この点においては、国や都道府県、共済組合や健保組合などが開設する公的病院と、これらに該当しない民間病院との間で扱いが異なり、公的病院の開設や病床数変更等については、医療計画で定める当該病院の属する地域における基準病床数を上回ることになる場合には許可しない権限が与えられている(医師法第7条の2)のに対し、民間病院に対しては必要な勧告(同第30条の11、第30条の12)を行い得るに留まっています。

 

 もっとも、わが国における運用の実態としては、地域医師会の働きかけによる事実上の病院開設制限が長きにわたって行われており、こうした医師会の開設制限行為が独禁法違反にあたるとした裁判例もあります。また、民間病院が都道府県知事等の勧告に従わなかった場合、病床数の全部又は一部について保健医療機関の指定対象から除外することができる(健康保険法第65条第4項)ものとされているため、医療法による「勧告」も実際にはかなりの強制力を持っているなど、病院の開設規制に関する運用の実態は、部外者には色々と分かりにくい面があります。

 

4 病床数規制の医療政策と法的課題

 病院の開設に関しては、医療法の建前上は「自由開業制」となっているものの、実際に開設が許可されるかどうかは、許可権者である都道府県知事等の定める医療計画、ひいてはわが国の医療政策に適合しているか否かと密接に関連しており、管理人としては、法律上の建前と運用上の本音がここまで食い違っている例は珍しい、という印象を受けます。

 戦後のわが国においては、公的病院の全国的整備が喫緊の課題とされていた時期もあるものの、高度経済成長に伴って次第に病床過剰となる地域が多くなり、公的医療保険(健康保険及び国民健康保険)の負担増が懸念されるようになったことから、病床数の抑制が図られるようになりました。もっとも、公的病院への開設規制は早くから実施されていたものの、民間病院への規制には憲法第22条第1項に定める職業選択の自由の観点から反対の声も根強かったことから、昭和60年における医療計画制度創設では、民間病院に対しては「勧告」をなし得るに留められました。

 もっとも、この「勧告」には裏があり、勧告に従わなかった医療機関に対しては、保険局長の通知により、保健医療機関の指定を行わないものにする、という取り扱いがなされていました。国民皆保険制度が定着しているわが国では、保健医療機関としての指定を受けられるかどうかは死活問題であり、公的医療保険の適用を受けられない病院は事実上経営が成り立たないと考えられるところ、表向きは強制力を伴わない医療法上の「勧告」に、法律上の根拠が無い行政通達によって事実上の強制力を付与するという、行政法学的には不透明極まりない事実上の規制が加えられていたわけですが、平成10年の健康保険法改正により、医療法上の「勧告」に従わなかった民間病院に対し、保健医療機関の指定を行わないことが出来る旨が明文で定められ、このような不透明性は一応解消されました。

 なお、こうした行政通達による事実上の規制の当否は訴訟でも争われており、最判平成17年9月8日は、「良質かつ適切な医療を効率的に提供するという観点からされた本件勧告に従わずに開設された本件病院についての保険医療機関の申請につき、医療保険の運営の効率化という観点からされ た本件処分は、健康保険法に違反するものとは認められない」「医療法の規定に基づき、病院の開設を中止すべき旨の勧告を受けたにもかかわらず、これに従わずに開設された病院について、保険医療機関の指定を拒否することは、公共の福祉に適合する目的のために行われる必要かつ合理的な措置ということができるのであって、職業の自由に対する不当な制約であるということはできず、憲法22条1項に違反するものではない」と判示しています。

 そして、医療法に基づく病院開設中止の勧告については、こうした保健医療機関の指定に及ぼす効果及び病院経営における保険医療機関の指定の持つ意義を考慮すれば、勧告自体が行政事件訴訟法にいう「行政庁の処分その他公権力の行使にあたる」と解され、勧告に対する抗告訴訟を提起し得るものとされています(最判平成17年7月15日、同10月25日)。

 管理人としては、こうした判例の結論自体に異論を唱えるつもりはありませんが、透明性の観点からはやや問題のある行政手法であったという感想を抱かずにはいられません。法律論としては、このように迂遠な方法では無く、民間病院についても医療法に基づく病院の開設段階で、医療計画との不適合を理由に開設不許可とする制度を設けることが憲法第22条第1項に照らし許されるかという問題がありますが、管理人の私見としては、憲法上はこのような規制も許容されると解されます。

 旧薬事法に基づく薬局新設の距離制限規定については違憲判決が出されていますが、薬局と病院とは事案を異にしており、病院の開設にあたっては相当数の医師や看護師など、相当数の医療専門スタッフを確保する必要があり、地域当たり病院の病床数が過剰になると供給が需要を生み、必ずしも必要とされない医療が提供されてしまう可能性がある一方、人数に限りのある医療専門スタッフがそうした過剰医療に費やされる結果、医療過疎地域における必要な医療の提供が疎かにされるおそれがあることから、医療計画との不適合を理由とする病院新設の不許可制度を設けることが憲法第22条第1項に違反するとまでは言えず、現行医療法が民間病院の新設について「勧告」という曖昧な制度を採用している理由は、憲法との整合性といった法的なものではなく、医療法改正案の提出に必要な医療関係者間の合意が難しいという政治的なものに留まると考えられます。

 財政赤字が年々膨らんでいるわが国においては、医療費負担の削減策が喫緊の課題であること自体に疑いの余地はありませんが、病院の新設や病床数増加の抑制といった政策が、直ちに医療費負担の削減という結果に結びついているか否かは疑問の余地があり、不必要な病床数の増加により供給が需要を生むといった、医療費における冗費の増加を防止する効果を発揮しているに留まると考えるべきでしょう。

 また、民間病院に対する不要な病床数の削減を強制することは法的にも事実上も困難であるため、医療計画に基づく病床数の削減にあたっては、公的病院の病床数削減が優先的に行われてきましたが、近年はこうした政策が裏目に出て、新型コロナウイルスの流行時には、国や地方自治体のコントロールできる公的病院の割合が減少しており、こうした医療非常事態時における国や地方自治体による民間病院への命令といった制度も特に設けられていないため、限られた医療資源の有効活用が上手く進まず、多くの患者が救急車でたらい回しにされるといった「医療崩壊」が現実のものになってしまったという痛い教訓があります。

 経済のグローバル化による影響もあり、世界レベルでの疫病流行は10年に1度くらいの頻度で発生する可能性があるとも言われていますので、これまで病床過剰地域における病床数の削減を進めてきた国の医療政策は、医療非常事態への対応という問題を含めて、大幅に転換する必要があると言わざるを得ません。

 

 以上のほか、病院の開設に関する法的問題は、株式会社など営利企業による参入の当否という問題もありますので、この問題についても簡単に触れておきます。既に述べたとおり、現行医療法は営利目的による病院の開設を認めておらず、また医療法人については剰余金の配当を認めないなど、営利を目的とする病院の設置や経営を認めない立場を採っていますが、2002年に政府の経済財政諮問会議が、医療業界への株式会社参入を認めるべきなどとする見解を表明したこともあり、株式会社など営利企業の参入を認めるか否かは、わが国の医療政策に関わる問題として激しい議論の対象になっています。

 この問題については、『医事法講義』72~73頁でも取り上げられているほか、インターネット上でも様々な記事が掲載されており、こうした論争は営利・非営利の定義も含めた神学論争の様相を呈しているという評価もあるようですが、一般に営利企業の参入を認めるメリットとしては、①病院開設等にあたり投資家からの資金調達を円滑に行うことができる、②経営の専門家により病院経営の近代化、効率化が図られる、③病院経営の効率性について投資家からの厳格なチェックが行われる、といった点が挙げられる一方、参入を認めた場合のデメリットとしては、①営利を追求するあまり、診療報酬の不正請求などの違法行為を含めた非倫理的な病院経営がまかり通る可能性がある、②採算性の低い地域からの安易な撤退、採算性が低く訴訟リスクの高い分野(小児科、産科、救急医療など)からの安易な撤退が行われ、現在でも問題になっている医師の偏在が加速するおそれがある、③医師や医療従事者の待遇や勤務環境の悪化に繋がるおそれがある、といったものが挙げられます。

 管理人自身の見解は、法的な一般論として営利企業による病院経営への参入を認める可能性が完全に排除されるわけではないが、少なくともわが国の現状を前提とする限り、立法論として営利企業による病院設置や病院経営への参入を容認するのは不相当であり、また少なくとも近い将来においては、参入を容認すべき事態になるとは想定しにくいというものです。

 営利企業による病院経営への参入を認める最大のメリットは、病院の開設等における資金調達が容易かつ円滑になるという点にあり、こうしたメリットは、例えば病院の絶対数が圧倒的に不足している国や地域、戦争や紛争により病院の大半が焼失してしまった国や地域について、病院機能の早急な整備が急務であるという局面であれば妥当しますが、現在のわが国では、一部の医療過疎地域を除けばむしろ病床数の過剰が大きな問題となっており、民間資本の活用により病院網を急速に整備する必要性は全くと言って良い程ありません。

 また、大学院で経営学修士(MBA)などの学位を取得しているのが当然となっている欧米諸国の企業と異なり、わが国における企業経営者層の専門性はそれほど高いとは言えず、医療に関しては素人で経営者としての専門性も高くない者を病院経営に参画させたところで、現状に比べ病院経営の近代化や効率化が進むとは考えにくく、管理人としてはむしろ逆効果ではないかとさえ思われます。投資家からの厳格なチェックについても、投資家は医療に関しては全くの素人であり、医療の公益性、特殊性に配慮した適切なチェックが期待できるとは思えません。

 一方で、営利企業の参入を認めてきた介護の分野については、非営利団体を経営主体とする介護事業者に比べ、営利企業を経営主体とする介護事業者については、不正請求などの違法行為を行う者の割合が明らかに高く、倫理性の低さが大きな問題となっている上に、営利追求の観点から介護従事者への報酬がかなり低い水準に引き下げられ、介護の質にも深刻な問題を生じさせていることは、敢えて詳細に論じるまでも無いでしょう。

 一般に「新自由主義」と呼ばれる市場経済万能論者は、悪質な事業者は市場競争により淘汰され、良質な事業者のみが生き残ることになるから、自由競争はサービスの質の改善にも繋がるなどと主張する傾向にありますが、一方で「組織の経済学」における議論では、取引の当事者間において情報の非対称性がある場合、むしろ「悪貨が良貨を駆逐する」という事態に陥りがちであり、このような現象を示す「アドバース・セレクション」が経済学・経営学の重要な概念として定着しているほどです。

 そして、新自由主義的な発想により合格者数の激増政策が採られた弁護士業界で現実に起こっているのは、市場競争原理による悪質弁護士の淘汰では無く、まさしく「悪貨が良貨を駆逐する」誇大広告の氾濫等であり、市場競争原理に基づく規制緩和が行われた他の業界でも似たような状況になっています。このような事態を医療業界にまで発生させるのは、医療関係者にとっても一般国民にとっても、決して望ましい結果にはならないと考えられます。