『運に見放されてる』
投資、仕事、プライベートいろんな場面でよく出くわす。それが、立て続けとなれば、マイナス思考におちいり、被害妄想までハマる。
『運がない』
この結論は突き詰めれば、不正解か。ただの選択ミス。実力不足と思い込み。
投資が一番正解が出る。上昇するか、下落するか。逃げ場がない程はっきり出る。
『この株、為替は最高値までいった。テクニカル的にも下落のサインが出た』
そう判断して、ショートに入る。
結果、裏切られ更に上昇する。
次の場面で『前回と同じ、発表。なら同じだ』と思って、思い込んでトレードする。
結果、素直に下落する。
でも、それならまだいい。損切りしたのに、今度は戻り、結果プラス決済になる。
『あのまま我慢してポジショニングしてたら』と悔しさがにじむ。
そして、また次の場面で『マイナスでもこのまま辛抱するぞ』と気合を入れると、含み損からの含み損で、大マイナスでの退場。もう意気消沈。
プライベートでもそう。結婚、恋愛しているなら尚更。
もともと、生まれも育ちも違う。同じ兄弟、家族でもバラバラ。
それでも助け合い、補い合う。
けど、自分の意図、行動の意味が通じない。良かれと思ったことが逆になる。
どれだけ伝えても、表面だけ通じ合い、奥底では交わらない。
それが悪いことではない。
その時の選択こそ、その時の最適解。数学と違って、正解は絶対ない。
だからこそ、ジレンマの中で苦悩し、蓄積した知識、経験、思い込みでも最善を選ぶ。何一つ間違っていない。その当時は。
ただ結果として、失敗しただけだ。唯一の原因は感情のコントロールができないだけ。
『投資も所詮、マネーゲーム』と思えば、深入りすることはない。金銭欲がないとつまらないし、何の感情も生まれない。もちろん、面白くもないが。
プライベートでも相手に伝わらないなら、期待しないほうがいい。
『ただ自分がしたいだけ。それだけ』
自分がこれだけ考えている。だから伝わり、応えてくれと思わなければ気にもしない。
『運』この意味が唯一違うのは、本業くらい。
『運』『運気』『気の流れ』
軽いレベルの捉え方ではない。
実績、経験、信用、全てを揃えないと掴めない。
『いい仕事があってもそのレベルにならないと、掴めない。関係ない他人が自分という人間を信じて紹介してくれる。ミスすれば、自分も恥をかく。それでも、信頼に応えれば自分の株も上がるし、信用もつく。最初は、自分が損してでも相手が得すればいい。でもいづれ、自分。相手。全てを掴めてこそ運。一回でも裏切れば、内容に応えられず断れば、運の尽き』
ありとあらゆる全てを受け入れ、対処できるようになって運が回りだす。
でもまあ、極論すれば『運がないのは自分がミスレベル』なだけか。