昔から執着というのがあまりない。
ないというより持つことを嫌っていたのもある。『モノでも人でもなんでも決断に影響するくらいなら、ないほうがいい。気を使うくらいならないほうが気楽でいい』
10代、20代くらいは虚しさもあったが、それも慣れてしまえば、さほど気にならなくなる。
肩書もあるが、アピールすることもない。あってもなくても分かる者には分かる、それくらいの概念。
だが、年齢を重ね、外見的な劣化を鏡で見る度、執着はなくでも年相応の装いの必要性は感じてしまう。
若さがあれば、汚れていても大したこともないが、年を取れば取るほど小綺麗にしないと、『この方が楽でいいや』はただの薄汚れだ。
それでも気に入ったものがあれば躊躇なく揃えていたが、それだけでは足らなくなっているかもしれない。
中身が大事でも、評価されるには、それに伴う外見があってこそ。
これから先は成熟期の域に入ってくる。だからこそ相応にふさわしい恰好をしないと。