この言葉を書くようになり、いつの頃だったか。
今日の昼、コンビニのレジで会計の列に並ぶ。目の前を高校生の子が一番くじでヒロアカで2等のカッちゃんが当たり喜んでいる。
きっと、Ⅿさんもくじを引いて、一喜一憂しているだろう。
弁当を持ち順番を待つ。目の前では当たった子と友達が無邪気に喜んでいる。
微笑ましい光景。
『明日も良い日になるといいね』
そう告げる。酒で赤くなった顔。裏表もない社交辞令に、『そうですね』とだけ答える。
適当に言ってるだけだろう。
今日も明日も何も変わらない。言葉の意味も重みもない。
それでも微笑み『そうですね。そうなるといいですね』とうそぶく。
無意味な言葉を重ねる度に白けてしまい、むなしい言葉の度、空虚感を漂わせてしまう。
昔からそう。言葉の意味の裏側を考えてしまう。たまに素直に言ってくれればマシなのにとも思う。だけど、素直に受け止めればいいのにとも思う。深読みして身動きが取れなくなる。
何気なく交わした会話。それが刻まれ、足掛けになっていく。相手に迷惑になるくらいなら気が利いたほうが傷つかないしいいと思ってしまう。そして、後悔する。
いつも思う。
いつも願う。
現在では締めの言葉に使っているだけ。それが気に入ってもいる。
それでは明日もいい日でありますように