『この選択が間違っていたのか』

一つ、一つ、積み重ねてきた判断。あらゆる選択肢。全てが最善とは言えない中、漠然とした中でも正しいと思って決断してきた。間違いがあってにしても修正できるとも思っていた。

 

子供と関わる時間は限られている。それでも反応と行動と状況はチェックしてきた。表立って口にしないが、把握していていざというときは自分で答えが出るようにしてきた。

 

『自傷行為で血が出ています。興奮状態です。来てくれませんか?』中学の先生から連絡が入った。

 

ADHDで幼いころは感情の切り替えが難しい子だったが、それでも小学校高学年では落ち着いてもいた。ずっと見知ったクラスの子がそのままだったのも良かったかもしれない。

 

中学生になり、環境が変わり、反抗期の兆しもある。他所の地区から新しい子も加わる。

 

中学生といえば、大人の入り口に立っているようなもの。スマホから遊びの情報も入るし、セックスの興味も覚える頃。自我が確立されるデリケートな時期。そのために、神経は尖らせていた。

 

普通級で多くの友達と過ごすのがいいのか。それとも支援学級で少人数で勉強に集中した方がいいのか。本人の意見も聞いて支援学級に行くことを決断した。

 

この時は正しいと思った。でも、同級生にトラブルメーカーがいた。小学生で刃物を持ち込み、家にはパトカーが来る、親も手が付けられない問題児だった。先生にいないところでちょっかいを出してくる。そんな子がいるとは思いもしなかった。

 

『自分からは手を出すな。けがをさせるな』そう言い聞かした。小学5年のときにパニックになって暴れて抑えようしても出来なかった。殴りさえすればできたが、無傷でとなら難しい。ましてや、もう身長も抜かされている。

 

一旦、暴れれば大けがになる。下手をすると一生物の傷になるかもしれない。その不安が強かった。それだけに、自傷行為に走ってしまった。自分のせいだ。子供は言いつけを守り、行き場のない怒りを自分に向かわせてしまった。

 

鼻血が出ている。先生に抑えられ、自分を呪っている。その姿に情けさなと泣きたくなる。

 

『気持ちを切り替えろ。いつまでそうしてる?自分を殴って何になる?文句を言われたら、嫌なことをされたら、言い返せ。出来ないなら先生に言え。殴るならサンドバックを殴れ』

 

うな垂れた姿を見詰め言う。嫁が睨む。痛い程分かる。嫁と先生3人とで宥めている。

 

慰め、優しい言葉で切り替えられるのならそうしている。誰かが強く、命令でも言い聞かせて動かさないといけない。憎まれても動くきっかけを作れるのは自分だけだ。

 

何度も言い、ようやく動く。その姿に先生は安堵していた。『血がすごく、救急車を呼ぼうかとも奥さんとも相談しましたが・・・』『大丈夫です。ただの鼻血です。病院も大丈夫でしょう』

 

教師とはいえ、問題にはしたくない。『迷惑をかけましたね』子供が車に乗り、先生と話す。

 

初めて会う自分がどういう人間か分からない。子供の経緯、自分の考え、子供への学校生活。迷惑をかけているのは自分の子供。この先もこの問題は必ず起こる。

 

自分の言葉で、相手の反応を見て、お願いする。その姿にホッとしているようだった。

 

幸いにも、自分が中学生の頃の担任もいた。相手側の後処理で遅れてきたが、荒れた頃の担任なだけに場慣れしたものだったし、状況判断も適格だった。

 

『反抗期もあるし、環境の変化もある。夏休みまで10回はこんなことがあるかもしれない。迷惑をかけるでしょう。自分たちでも対策していきます。何かあれば連絡ください』

 

昔から義に熱い人だ。対策はするが、学校生活の対応は任せるしかない。意図も分かってくれている。

 

ここが正念場だ。これが慣れてしまわないよう。ここを間違えないよう。ここからの今年の判断は子供の人生に大きく影響してくる。それが狂ってしまわないよう。