今、令和だからこそ、「岡本太郎」でしょ!
「芸術は爆発だ~っ」当時の、流行語にもなった、このフレーズ!使ったのは、皆さんも、よくご存じの芸術家「岡本太郎」その人です。ここで、彼の功績を、あらためて書くつもりでは、なく…取り上げようと思ったのは、彼が、挑戦し続け、あふれだした情熱とエネルギー、冷淡で、熱く、野放図で、繊細で、野蛮で優美残忍と愛撫がからみあった思想。これらを、発散するためのツール彼にとっては、絵であり、陶芸であり、書であり、言葉であり、構造物であった。「令和」の時代は、何か?そのツールの一つになるのが、「インターネット」だと、私は、考えています。そこにいる人たちは、自分の中から、あふれだす何かを、どこにいるかわからない誰かに伝えるために、言葉にしたり、映像にしたり、形にしたりしています。それらを、伝える事、発信する事、そして、つながること、伝わろうが、伝わるまいが、そんなことは、どうでもいい。挑戦している。それらは、すでに、ある種の芸術活動だと、私は思うのです。だから、みんな、自由になろうとして、もがいている。こうじゃない・・・そうじゃない・・・もがくのは、可能性を感じているから・・・もがくのは、あきらめていないから・・・だから、ここにいる人たちは、みんな、おもしろい。「岡本太郎」の思想を、そして言葉を、あらためて、かみしめてみた。 「今日の芸術は、うまくあってはならない きれいであってはならない ここちよくあってはならない」「本能的な衝動が、人を動かす歌う事も、そう叫ぶこと、踊ることも、そう表現欲というのは、一種の生命力であり、愛撫であり、そして、それは、思いのほか、激しい。」「ぼくは、人に好かれるような楽しい絵を描こうなんて思わない。それよりも、猛烈に叫びたいのだ。」「上手く作る必要なんかない テクニックだけで、うまく作った作品なんて、 面白くもなんともない かまわないから、どんどん下手にやりなさい その人独特の文体というものがあるはずだ 絵なら、その人の色 ダンスなら、その人にしかできない身体の動きが物語る世界、 それは、自分が発見し、確かめていくもの。 芸術は創造だというのは、そういう意味だ。」「音楽でも、映像でも、ファッションでも、スポーツでも・・・何かを創り出すことに情熱を賭けている人は大勢いる。何のために?なんて、聞いてくるやつがいるいいんだよため、ではないぶつけたいから、ぶつけるんだ。」オジサンも、そうでありたい。