【裏日記】つなぐ、紡ぐ、伝える。 -9ページ目

 【裏日記】つなぐ、紡ぐ、伝える。

 天地(と地底)をつないで紡いだ言葉を伝えるひとをやっている 永龍 Eiriu の【裏バージョン】エッセイブログ。
 何となく、でも確かに感じていることを、歴代のiPhoneで撮り溜めていた写真とともに綴ります。

 
 
いつからか、
 
ざっくりとした
系譜のようなものを、
頭のなかに描くようになった。
 
 
実際にお役所などの力も借りて
戸籍を調べれば、
 
200年位前までは遡れると聞いた
ことがあるけれど、
 
あくまでも、
 
今まで感じてきた事柄を
自分なりに整理したいだけなので、
 
時代を遡るのではなく、
感覚を頼りに古代からスタートして
現代までたどり着こうとした。
 
 
 
たとえ
波乱の人生だったとしても、
 
それなりに本人が納得して
生涯を終えていれば、
 
その存在は
とても穏やかに感じるし、
 
何だかどえらい騒ぎを
起こしたとか、
 
怒・憎・哀 の感情が
渦巻いているひとの残像は、
とても強烈だと感じる。
 
 
 
そういった方々
一人ひとりを感じながら
掌を合わせると、
 
気温や湿度、
匂い、
御国訛り、
 
地べたに正座しているのか
脛に食い込む
小さな砂利の感覚などなど、
 
 
私ではない誰かの、
 
 
おそらく
私のご先祖たちであろう
人々の生き様に、
 
ほんの少しだけ
触れることが出来たような気がした。
 
 
 
なかでも、
 
“ただただ無念”というような
想いの残像に触れると、
 
自分の感情ではないにしろ、
「何故こんな事に……」
といった想いが頭を離れないことも。
 
 
 
わけもなく
逃げ出したくなるような
気持ちに駆られるから、
 
最初の数年は、
掌を合わせる事すら出来なかった
けれど、
 
いまを生きる私たちには
到底想像もつかないような
時代背景のなかで、
 
確かに、
この人たちは生きていたんだ。
 
これが俗に言う
“供養”というものなのかな。
 
そう思った日から、
私のすべては変わった。

 
 
そして、
 
心の深奥から
供養や感謝の念が
自然に
湧き出るように成ると、
 
 
〈 とても微細な変化だけれど 〉
 
 
いまを生きている
子孫たちにも、
好転反応が起こるということも
実感できた。
 
 
 
どうやら、
 
仏壇や神棚、お墓参りも、
カタチだけでは本当の意味での
意味を成さないようで、
 
やはり、
「湧き出るほんとうの気持ち」
なのだ、と。
 
 
 
たとえ、
先祖を祀る立派な祭壇が
無くても、
 
お墓参りに行くことが
出来ないとしても、
 
 そこに湧き出る
ほんとうの気持ちが在れば……。
 
 
 
 
———と、
ここまでは
肉体のルーツとしての
家系譜のお話。
 
肉体には俗に言う 
“魂”みたいなものが宿ると
考えている私は、
 
別途、
魂の系譜のようなものも
描いていた。
 
 
 
“魂”篇は、またの機会に。
 
 
 
 
ちなみに、
ひと通り終えてみての
個人的感想ですが、
 
ビジュアルや気質が
自分を含め
いまを生きている親族などの誰かに
そっくりな人が、
必ずいます。
 
今風のメイクやヘアスタイルにしたら
まんまだな、と思う人が w。