【裏日記】つなぐ、紡ぐ、伝える。 -15ページ目

 【裏日記】つなぐ、紡ぐ、伝える。

 天地(と地底)をつないで紡いだ言葉を伝えるひとをやっている 永龍 Eiriu の【裏バージョン】エッセイブログ。
 何となく、でも確かに感じていることを、歴代のiPhoneで撮り溜めていた写真とともに綴ります。

 
かれこれ
一時間は待っているだろうか。
相手は一向に来る気配が、ない。
 
 
〈 寝坊かな…… 〉
 
 
公衆電話から連絡してみたものの、
呼び出し音が鳴り続けたままだ。
 
 
〈 どうしたのかな…… 〉
 
 
駅の掲示板にメッセージを書き残して
どこかで待機していようか、
 
いや、相手は掲示板を
見てくれないかもしれない。
 
 
〈 日にちを間違えたかな…… 〉
〈 いや、まさか事故に遭ったんじゃ…… 〉
 
 
 
———と、
ほんの20年程前? までは、
待ち合わせでこんなことが起こり得た。
 
 
だからこそ、
待ち合わせに限らず、
外出するには
程よい緊張感があったように思う。
 
 
 
 
 
ほとんどの人が
携帯電話を持つ今では、
 
時間や場所の急な変更をお願いする
ことも出来るし、
(気持ち的にも言いやすいし)
 
待つ方も、あれこれ心配することなく
待てるようになったけれど、
(少々イラっとはするかもしれないが)
 
もしも今、
 
ケータイが無かったら
どれくらいの時間待てるだろう。
 
 
ようやく公衆電話を見つけたところで、
果たして番号を押すことは
出来るのだろうか……?
 
 
 
記憶力や日頃からの危機管理能力、
柔軟な対応力、
そして信頼関係を築くことなど、
 
便利になればなるほど、
 
なんだかとても大切なことが
失われつつあるように思えてならない
今日この頃。
 
 
どうも使いこなしているつもりが、
実は「ケータイに使われちゃっている」感が
否めないこの状態が続けば、
 
自らが生み出したモノたちが暴走し始めて
コントロールが効かなくなり、
 
人間たちがパニックに陥るという
映画のようなストーリーだって
現実味を帯びてくる。
 
すでに、
”ながらスマホ“という言葉が生まれ、
夢中になるがあまり信じられないような
事故が起こり出しているし。
 
 
 
目を見張るスピードで進化してゆく
ケータイの素晴らしさに置いて行かれぬよう、
必死に喰らいついているのかもしれない
私たち。
 
 
もっと、素敵に使えるはずだから。
 
 
たまには、
持たずに出かけてみよう。