最近おもしろすぎてハマった本
監修が鎌田東二先生ということで即購入。
もう、最初からおもしろすぎて読みやすくて、おもしろいです(笑)
で、わたし、2年くらい前から歌の練習をしています。
パステルアートも描きます。
『アーティスト気質』なんだと思います。
なので(!?)よくぼーっとしているし、と思ったら過集中モードになって、ご飯もお風呂も寝ることも忘れて夢中になったりもします。
『ぼーっと』も、実は過集中モードだと思ってます(笑)
前にも書いた、思考が止まらないときです。
絵を描くのも、歌うのも、似ているなぁと思うのは、雑念が浮かぶと棒読みになってしまうこと。
エゴがジャマをする?
歌が棒読み。
絵に立体感がないような感じ。
雑念が出てくると、歌なら歌詞を間違えたり、声が出なくなったり、
歌も絵もだけど、客観的に見て聴いて、なんかつまらない感じになる。
過集中モードが途切れてしまう。
歌は毎回録音しているので、それがよくわかります。おもしろい!
絵を描くとき
『ファーストインスピレーション』を掴んで、あとから湧いてきたものは捨てる
ようにしています。
この構図のほうがかっこいいかなぁ
この色のほうがいいなぁ
なんて思うときほど、描けない。
わたしが描く絵に関しては、です。だから『売れる絵』って描けない。
よく『感動を与えたい』って聞くけれど、その違和感と多分同じ。
歌も絵も、思い浮かべようじゃなくて、自然に思い浮かぶもの、湧き上がるもののような気がします。
最初に紹介した本の親鸞さんが、とてもわかりやすくておもしろかったんですけど、
「修行するほど、むしろ悟りから遠ざかる」。
修行を全否定するような内容だが、
これには深い理由がある。
親鸞は、比叡山で20年間
だれよりも真剣に、厳しく修行した。
それでも、ついに悟れなかったのだ。
むしろ「修行している自分はスゴい」
という、慢心がわいてきた。
『自分とか、ないから。』より引用
悟るぞー
悟るぞー
うまく歌うぞー
うまく描くぞー
ってなると自分が自分が〜ってなってしまうんですよね。
悟れないことを認めると、
「空」のほうから
こっちにやってくる。
まさに逆転の発想。
これが「他力」の哲学なのだ。
『自分とか、ないから。』より引用
ちなみに、ヒーリングも、
うまくやるぞー
こうなるぞー
はいらないし、
学びも
頑張って理解するぞー
はいらないんです。
あ、それと、歌の歌詞やアニメのセリフなんかも、
覚えるぞーって思っても覚えられない。
それよりも過集中モードで歌っているうちに、いつの間にか目を閉じて歌えるようになってます。
過集中モードになると、そういう思考(エゴ?)が普通に出てこなくなるんだけど、そういうとき頭の中真っ白なようで真っ暗なようで、そういうときのほうが、何も聞いていないようで覚えてたりするんです。
『無になる』感じ?透明?
『自分が自分が〜』なんて、どうでもいいんですよね。
小学生のころ、教育で嫌な思いもたくさんしてきたので、『エゴ』に関しては敏感なのかもって少し思ってたりします。
間違った厳しさは暴力的で嫌いです。
その裏にはエゴがあった。いわゆる支配欲。
正しい厳しさは、ちゃんとわたしをまっすぐ見てくれてるのがわかるから、がんばれます。
どんなに厳しくても。
それが成長だと思うから。
だから『一番成長した』『一番頑張った』って言われるのが嬉しいです。
小学校の鼓笛隊で、初めて指揮をやったの。
新しい学校だったから、初めての試み。
先生がとても厳しかったけど、本当にまっすぐわたしを見てくれたのが、ただ嬉しくて。
いじめられてて友だちいなかったから。
本番、地味な感じでお世辞にも「かっこいい」とは言えなかったけどやりきった。
卒業して次の年、見に行ったら、指揮がものすごくかっこよくなっていて。
先生に
「あなたがやり遂げてくれたから次につながったんだよ」
って言われて、頑張ってよかったって思った。
その記憶が今でもわたしのなかに根付いてるなぁって思います。
やりきったから、レベルアップしてても、純粋にすごい!って思えたんですよね〜
で、書いてて思うのはやっぱり『言葉』って難しい。
だから、
『言葉はいらねぇ』
『考えるな、感じろ』
がいいなぁ(笑)
だからわたしは『禅が向いてるタイプ』なのかなって。
要は、教える側よりプレイヤーの方が合ってるんですよね、多分。
教えることも楽しいんですけどね。
本、オススメなので、ぜひ読んでみてください✨
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました✨
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