だいぶ前に読んだ本ですが。
この本に『敬語は互いを守るバンパー』ってあって、これはわたしが昔から意識してるところでもあります。
仲良くなればなるほど、距離感や境界線が曖昧になってしまうので、『敬語が結界になる』感じです。
それで関係性を守ります。
もちろん空気感などによって、あえて崩すこともあります。カチコチにしてしまうと、よそよそしくなりすぎてしまうから。
逆にゴメンナサイだけど距離を置きたいときは、カチコチ敬語。
ちなみに敬語も、知っているから、使えるから崩すことができます。それは賢さです。
間違えていることはわかった上で、場に合わせて使うんです。
そういう意味では、名前の呼び方も少し意識しているところもあります。
名字で呼ぶか、名前で呼ぶか、ニックネームで呼ぶか。
それによって、守りたい関係性が守れるような気がするんです。
とはいえ、女性に対しては姓が変わることもあるので、基本、名前で呼びますが。
みんなが呼んでいて馴染んでいる名前で呼んだりも。
名前といえば、わたしの好きな『陰陽師』
マンガも、昔公開された映画も好きなんですけど、そこで『名は呪だよ』ということを言っています。
昔、そういう話のライブ配信をしたのが懐かしい。。。
姓は先祖代々から続いてきた呪で、
名は生まれて親がつけたときから、未来へ向けてどう生きるべきか、『親の願い』という呪がかけられている。
名という呪でわたしたちは縛られている。
だけど、その名前がなくなったからといって存在が消えてなくなるわけではなく。。。
という話を、相棒の源博雅にしています。
だから安倍晴明は、その鬼に自分の名前を名乗らなかったんですよね〜
コミック版の第一話ですね。
(この話がわたし、一番好きかも💖)
そして安倍晴明はこの鬼に対して、ある言葉を投げかけて鬼を祓いますが、その時の安倍晴明のセリフ
知らんのか
優しい言葉ほど
よく効く呪はないぞ
それに少し不幸な方が
楽の音は美しいものだ
と言っています。
『相手への理解』については、noteで以前記事にしていて、たくさんの方に読んでいただいて、反応もいただいていて嬉しいです。
ちなみに、『少し不幸な方が楽の音は美しい』というのも、なんとなくわかりますよね。音楽だけではないけれど。
そういうのって気が乗るというか込められるというか。
だから、誰かの心に響く。
芸術ってその人の経験だったり想いだったりの表現で、ある意味自分の分身のような子どものような、だと思うんですよ。だから、そこを踏みにじられることは何よりも耐え難く許せなかったりもする。
そして、それを透明な自分で表現できるって本当にすごいことだと思うのです。
マンガ『陰陽師』では、安倍晴明の相棒である源博雅。
彼は史実上でも管弦の名手だったと言われていますね。
逸話も残されていますが、彼の奏でる楽の音は人の心を癒すほど。
そういう力が芸術にはあるんですけど、やはりそこには『表現する人』が現れます。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました✨
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