高1生の男子で 筆記用具、鉛筆を使っている
生徒がいます。
原則 我が塾では 筆記用具はボールペンを
使用するように 指導していますが
この生徒には 根っから 「鉛筆」が性に合っているようです。
聞けば いままで一度もシャープペンは
使ったことが無いといいます…
たぶんご家庭の影響が大きいかと推察されますが
私的には非常に惚れ惚れいたします。
やはり鉛筆で書かれた字面はなんともいえない
深い味わいがあります。
又 芯の先にはほのかな 木の香り&芯の香りが
漂ってきます。
そして 鉛筆を削るという
とても地道な作業が必ず生まれます。
「紙と鉛筆」とは言いますが「紙とシャープペン」とは
言いませんね。
小学生は結構 鉛筆を使っている割合が
多いのですが だんだんと シャープペン派に
変わっていくのは寂しい気も致します。
彼には この先 ずっと鉛筆で 生涯
通してほしいと願っています。
今年の CROWNは 本当に気合いがはいって
おり素晴らしい出来です。
とはいっても トヨタの車の話ではありません。
中学生英語の教科書のCROWNの話です。
例えば今 3年生がやっている Lesson6の
USEの本文は本当によく出来ています。
これをすらすら英訳 出来れば他の
教材は要りませんね。
キング牧師の抱いた夢の話で特に
p72の3行目から6行目。このパラグラフは
特に秀逸。中学生には多少発展的な内容で
難しい構文も見られますが
大学入試で出題されてもなんの遜色も無いですね。
この文を中学生の時に触れることは
なんとも贅沢であります。
今回の教科書には随所にこのような
渾身の力が入った文が見られます。
改めて著作者の方々に敬意を表したい。
おり素晴らしい出来です。
とはいっても トヨタの車の話ではありません。
中学生英語の教科書のCROWNの話です。
例えば今 3年生がやっている Lesson6の
USEの本文は本当によく出来ています。
これをすらすら英訳 出来れば他の
教材は要りませんね。
キング牧師の抱いた夢の話で特に
p72の3行目から6行目。このパラグラフは
特に秀逸。中学生には多少発展的な内容で
難しい構文も見られますが
大学入試で出題されてもなんの遜色も無いですね。
この文を中学生の時に触れることは
なんとも贅沢であります。
今回の教科書には随所にこのような
渾身の力が入った文が見られます。
改めて著作者の方々に敬意を表したい。
・もし子どもが批判と共に住むならば
その子は非難することを学ぶだろう
・もし子どもが敵意と共に住むならば
その子はあらがうことを学ぶだろう
・もし子どもが嘲笑と共に住むならば
その子は引っ込み思案であることを学ぶだろう
・もし子どもが不真面目と共に住むならば
その子は自責の念に苛まれることを学ぶだろう
・もし子どもが激励と共に住むならば
その子は自信を持つことを学ぶだろう
・もし子どもが賞賛と共に住むならば
その子は感謝することを学ぶだろう
・もし子どもが公正と共に住むならば
その子は正義を学ぶだろう
・もし子どもが安全と共に住むならば
その子は信じることを学ぶだろう
・もし子どもが容認と共に住むならば
その子は自分を愛することを学ぶだろう
・もし子どもが受容と共に住むならば
その子は愛を見出すことを学ぶだろう
(ドロジー・ノルテ)
皇太子さまが、愛子さま3歳の折に引用されたのがきっかけとなり、
日本でも有名になりましたね。
その子は非難することを学ぶだろう
・もし子どもが敵意と共に住むならば
その子はあらがうことを学ぶだろう
・もし子どもが嘲笑と共に住むならば
その子は引っ込み思案であることを学ぶだろう
・もし子どもが不真面目と共に住むならば
その子は自責の念に苛まれることを学ぶだろう
・もし子どもが激励と共に住むならば
その子は自信を持つことを学ぶだろう
・もし子どもが賞賛と共に住むならば
その子は感謝することを学ぶだろう
・もし子どもが公正と共に住むならば
その子は正義を学ぶだろう
・もし子どもが安全と共に住むならば
その子は信じることを学ぶだろう
・もし子どもが容認と共に住むならば
その子は自分を愛することを学ぶだろう
・もし子どもが受容と共に住むならば
その子は愛を見出すことを学ぶだろう
(ドロジー・ノルテ)
皇太子さまが、愛子さま3歳の折に引用されたのがきっかけとなり、
日本でも有名になりましたね。
当塾は 持ち物は一切ありません。
というか 持ってくる必要が無いと
表現した方がいいかもしれません。
他塾では 塾専用のバックを用意して
その中に ワークとか筆記用具をいれてもって
来るのが普通の 光景かと思います。
ですが 私のところは そういった煩わしさが
一切ありません。
例のごとく 宿題は
「やらせる事が出来ない人」が
「やれない人」に
「やれないもの」を出すということなので
出しません。
もっと言えば 毎日通ってくれるので
宿題という概念は初めから 私の頭にはないというのが
正直なところです。
家庭は「寛ぐ」ところ、「家族団欒」の場所ですね。
というか 持ってくる必要が無いと
表現した方がいいかもしれません。
他塾では 塾専用のバックを用意して
その中に ワークとか筆記用具をいれてもって
来るのが普通の 光景かと思います。
ですが 私のところは そういった煩わしさが
一切ありません。
例のごとく 宿題は
「やらせる事が出来ない人」が
「やれない人」に
「やれないもの」を出すということなので
出しません。
もっと言えば 毎日通ってくれるので
宿題という概念は初めから 私の頭にはないというのが
正直なところです。
毎日2時間 塾にくれば そこで培われた力は
3年生になったとき 遺憾なく発揮されます。
塾でしっかり勉強すれば
塾でしっかり勉強すれば
あとは 家でのんびりと自由に楽しんで
もらえば いいんです。
家庭は「寛ぐ」ところ、「家族団欒」の場所ですね。
あめふりくまのこ
鶴見正夫 作詞
湯山昭 作曲
おやまに あめが ふりました
あとから あとから ふってきて
ちょろちょろ おがわが できました
いたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてました
さかなが いるかと みてました
なんにも いないと くまのこは
おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました
それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました
さかなを まちまち みてました
なかなか やまない あめでした
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました
鶴見正夫 作詞
湯山昭 作曲
おやまに あめが ふりました
あとから あとから ふってきて
ちょろちょろ おがわが できました
いたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてました
さかなが いるかと みてました
なんにも いないと くまのこは
おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました
それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました
さかなを まちまち みてました
なかなか やまない あめでした
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました