なります。
今回の改訂は 科目名称も変更になるので 結構大きな
改訂です。
英語に関しては
(旧) 英語 Ⅱ → (新) コミュニケーション英語 Ⅱ
(旧) English Writing → (新) 英語表現 Ⅱ
国語は2年生にて学習する「現代文」と「古典」が
すべての出版社で改訂されます。
(現代文A・B、古典A・Bとなります)
いずれにしましても 名学館では 生徒の
学習にお役にたてるよう どの教科書にも
対応できる 和訳を従来通り用意しております。
是非 ご活用ください。
1,2年生は 期末テストの最後の追い込みの時期となりました。
そしてテストが終了すると 又毎回ありきたりな光景を
見ることになります。
「5教科合計点何点だった?」「順位は上がったの?」
と…生徒も含めて 親御さんの最も関心の高い領域であります。
驚くことに中には 他の生徒の各教科の点数を一覧で管理して
一喜一憂している生徒もいます。
「合計483点だった やったぁ!」「学年5番以内になったぁ」
確かに 努力して自分の目標を決めて実戦した結果だと
思いますのでそれはそれで 評価して立派なことです。
褒めてあげても良いでしょう。
しかし…しかしです。こういう生徒の共通なことは ただ
目先の点を取りに行き、そのためにひたすら覚えることを優先する
傾向がある事です。このことは将来の大学受験を考えると危惧致します。
わたしの中では「483点」は下品な点数と定義しています。
「なんで 私の娘が下品なんですか~」とお母さんに
叱られてしまいそうですが…。
「483点」が悪いなどとは決して言いません。
優秀です。立派です。
義務教育で終了ならばそれで結構です。
ですが… 先ほどの大学受験を視野に入れた場合
他にやらなければいけない事がたくさんあります。
ここで 実際の大学受験の問題を見てみると
① 「イネ」「米」「メシ」という観点から あなたが考えている問題を
指摘しながら 意見を述べなさい (北大 理学部)
② 「見えるものと見えないもの」というテーマであなたの
考えを1400字以上1600字以内で述べなさい。(東北大・文)
③ 「常識の悪いところを述べよ」 (信大・理)
英語では
「日本語には ”もったいない”という言葉があります。この言葉がどのような
使われ方をするのか外国人に理解してもらうとき、あなたはどのように説明
しますか? 70字程度の英文で書きなさい」 (阪大)
「”沈黙は金なり”ということわざに見られるように、自分の意見や本心を言わず
に済ませてしまうことが日本ではよく見られます。このような態度をどのように思いますか。
賛成、反対、とちらとも言えないなど、あなたの意見を、その理由を含めて100語程度の
英語で書きなさい」 (広大)
というのが 現状です。
今 中学1年生だったらあと5年後に 高校1年生だったらあと2年後に
この問題を書けるように仕上げなくてはいけません。
特に 今の中1・2年生諸君は
大学の入試制度が根本的に変革する最初の年度です。
あくまでも 予想ですが 上記の問題がかなり
増えてくる可能性があります。
そこでもうおわかりのはずです。今の中学での定期考査で点を取りに行く
勉強では もう上記の問題には太刀打ちできません。
483点の生徒と平均的な点数の生徒に 作文を書かせると
483点の生徒が文が優秀とは限りません。どうかすると
格好つけて優秀な文を書かなくてはいけないという意識のあまりか
聞いていないことまで書き出してしまうことがあるのです。
ですから 483点とれる力があるのでしたら そのうちの83点分を
他につぎ込んで欲しいということです。
ポイントは普段の生活においていろいろな場面にフックをかけることです。
童謡「ぞうさん」の作詞者である詩人 まど、みちおさんの
出身地である山口県の動物園に ゾウがやって来たそうである。
なんでも地元商工会議所プロジェクトを立ち上げ資金を集め
るなどしての 大がかりなイベントであったようです。
童謡は「♪ぞうさん ぞうさん」ここから呼びかけが始まります。
特別な場合を除けば 呼びかけている人物は
私みたいな中年のおじさんではありません。私が檻の前で「ぞんさん ぞうさん」と
呼びかけたら 廃人のそのものですな。
ここは 幼児しかありません。
ここで 次に幼児は ぞうに向かって「♪お鼻が長いのね」と呼びかける。
何故 ここで呼びかけたのか。それは童心のまま分析すれば
「珍しいから」でしょう。 幼児にとっては 他の生き物、動物で
鼻が長いものは 見たことが無いはずです。
なので 「え~ こんなに長い鼻 見たことない」と驚きの表情も現れているのも
推察できます。
そうすると 「僕と違うんだな なんか変だよな」と感じているかも知れません。
次に 呼びかけられた ぞうは 「♪そうよ 母さんも長いのよ」と応えます。
ここで ぞうにとって お母さんはどのような存在だったのかは 「母さんも」の
「も」が非常に 大きなキーワードとなります。
そして ここの部分をもっと正確に読み取ろうとすれば、2番の詩を引用すると
わかりやすくなります。
「♪ ぞうさん ぞうさん 誰が好きなの 」と又幼児が呼びかけます。
「♪あのね 母さんが好きなのよ」と応えます。
よって ぞうにとってお母さんは最も好きな存在となります。
そこで先ほどの「も」との関連で
「一番好きな人と同じだよ」という ぞうからのメッセージを
受け取ることが出来ます。それも とても誇らしげに応えています。
「一番好きなお母さんと同じなんだよ(どこが いけないの) 」…。
幼児が「お鼻が長いのね ちょっと僕たちと違うよね」と呼びかけても
ぞう は 「そうさ 確かに違うよ。でもね 僕は一番好きな人と同じで
嬉しいんだよ」となんの躊躇も無く応えます。
人と違っていても 大きな誇りをこの ぞうは持っています。
昨今は 理屈ぽい歌詞が多い曲が流行っておりますが、この「ぞんさん」のような
曲がずっと歌われたらもっともっと 子供達は感情豊かになるはずでしょう。
今回この山口の動物園に来た2頭のゾウはスリランカから来たそうですが
「ぞうさん」に登場する 親子では無かったは少し 残念ではあります。
願いというのは「ねぎらい」が語源。
「ねぎらい」とは、
「よくしてくださって、ありがとうございました」という
感謝の気持ちを込めて、お礼をいうこと。
これがねぎらいなんですね。
昨日、再び素晴らしい言葉に巡り会いました。
「好きな男の最も曖昧な言葉でさえ、
好きで無い男の明白な愛の言葉より、
心をかき立てられるものである」
親御さん、学校、生徒この関係から
どのようなポジショニングを取っていくか…
上記の言葉はそれを示唆してくれている。
「拝」というのは 腰を90度折り曲げる最も
丁寧なお辞儀のことで、
「揖」というのはそれに次いで丁寧なお辞儀です。
腰をおおよそ45度の角度で曲げる「深揖(しんゆう)」と
腰をおおよそ15度の角度で曲げる「小揖(しょうゆう)の
2種類ありますね。
つまりは 腰を曲げる角度の度合いから
「拝>深揖>小揖」になるということになります。
それで 「礼」というのは「拝」や「揖」の総称です。
