人を、「男前」かそうでないか、で分別するくせが私にはある。
ただ、男前といっても、顔がハンサムだとかほりが深いだとかいうことではないし私の場合は、たとえ女でも、男前、とポジティブな意味で褒めるくせなのだ。 、日本人、日本人以外関係ない。(ちなみに下記の例のKという人は、こちらドイツへ来てから出会った人たちを総合したものだ)
どんな性格か、というと↓
1 約束を破らない(他人との決め事は期日内にきっちり実行する、もしできないときはそれなりの埋め合わせをする) メールや手紙(質問の返事や 返事を待っているっぽい手紙ならなおさら)はできるだけ早めに返信する律儀さ。
2 時間を守る(他人の時間を尊重する)
3 借金をしない(どんな小さな金額でもじぶんにないときは他人のお金を借りればいいという安易な考えを嫌う)
4 3と同じ意味だが、個人の品物を貸して貰ったらできるだけ早く返す(自分にないから、他人のを借りればいい、という神経もわからん。なければ我慢するか、がんばって貯金して買えばいい。他人のものに手を出してそのときを凌ぐ、と言う神経がわからん。ましてや書物など借りっぱなしでそのまま忘れるとというか、返却するのなんかどうでもいい。そのときそういうことで自分のその場が凌げればいい、という人にときどき出くわすが、理解し難いし、わたしにとっては嫌悪の対象でしかない。
5 掃除をきっちりする。(少々床に髪の毛やその他ゴミなどがちらかっていても、見えなければいいさ!見てみないふりしてればいいのさ、ホコリじゃ死な
ないし、などのルーズさはある程度はいいかもしれないが、あまりにもひどい場合は、簡単に借金をする、物を借りたまま忘れて返さないでおき結果的に自分の物にしてしまう、とか、他人との時間をすっぽかす、忘れる、まもらない、というのと根が共通
する欠陥あるいは癖が性格にあるのだとおもう。他人の時間や手間はいくらかかっても関係ない、)
もっとも、そういう私自身もときどき忙しくて掃除が行き届かないとき、フローリングの床にホコリやゴミなどがたまることがあって「だらしない!」と自分を怒ることはよくある。
1から5までまとめると、要はわたしにとってのオトコマエの定義とは、
他人との約束、自分との約束を、色んな場面(シーン)において死守しようと全力を傾ける真面目さ、いってみれば仁義(その他人への敬意を含む)と義理を大事にする、むかしの侍のような真剣さ、プリミティブさ、なのかもしれない。それを人は不器用と呼ぶのだろうか。
そ
のほうがうまく生きていけるのかもしれないが、(武士の反意語によくつかわれる)商人的な小ずるさ、口先の巧みさ、その他様々な意味での小器用さを振り回
し他人を利用し尽くして生きる人たちが苦手だし、そういう姿をみるにつけわたしにはできないなあ、とおもう。(反面、もちろん、その手の人たちを見るにつ
け、生きるのが上手だなあ羨ましいなあとおもうこともあるが。)
仕事能力と人品とは別物なのかもしれない。どんなに仕事や勉強ができようともそういう人間は、自分のことが一番最優先で、自分のことのみが頭にある。(まあそうでなくては、まともな業績なんてあげられはしない、とうそぶいているのも聞いたことがあった。) た
だ,かれらにとっては、少なくとも自分の身近な人間(自分が重んじようと思っている人間以外はは ただの「利用し尽くす」物体とみなし、最低限、他人に払
うべき敬意すら無いのだということだと、そのときやっとわかった。自分がそういう人間ではないし家族親戚にもそういう人たちは私が知るかぎりではいないので、彼らのそのような思考システムを理解できるまでにしば
らく時間がかかった。(まあ私が鈍い、というのもあるが)
例・・・・・
ある人(仮にKとする)が、私の物を借りる際に、「アレ(私が貸した物)を使い終わったら必ずすぐ返すからね」、と約束をしておき二度ほど忘れ、(三回目は私にわざわざしてメールで返す日を確認しておきながら)三回とも返すのを忘れた。
私が「アレは?」と尋ねると、Kは「ああ、ごめんね。忘れちゃった~。」と事も無げに言い放ち、「でも今日それを使わないよね、次回でいい?」と続けた。こちらが当日それを使用せずつまりは緊急性がないのなら、返すと約束した日を過ぎても借りっぱなしでもいいのだ、という図々しい思い込みと無神経さに、あいた口がふさがらなかった。
「Kは他人の物は他人に属しており、できるだけ早く返却するもの」という基本的な意識がかけているのだろうか。または他者との約束など少々忘れてもいい、それくらい他者を軽んじていたのかもしれない。もちろん複数の他者に優先順位をつけているのかもしれないが。他者は、Kが利用し尽くす(ドイツ語でausnutzenがよくニュアンスを表しているとおもう)ためにある、でもK自身は他者にすこしたりとも利用されたくはない、と自分自身はしっかり護る。自己と他者がいまだに未分離な未熟かつ自己中心的な傲慢さをもっているひとだとおもった。(自覚しているかしていないかは別として。)他者もまたK自身と同じように、(Kになど)「利用」されたくないと思っていることを、夢にも思っていないらしい。
このKは実はいわゆる美人で運動神経もよく、あたまの回転が素早く弁もたつ。そしてほれぼれするほど仕事もできた。そのなにもかもできる、という完璧さを鼻にかけているのが、以前は「このひと冗談でそういってるんだろうなー」と思っていたが、だんだん本気で、自分のことを「完璧な人間」だと思い、とにかくなにかにつけ、「わたしってこんなにすごいの!偉いでしょう、)言外にあんたたちとは違うのよ!というニュアンスを含む)」という自慢をすることがわかってからは、バカバカしくなったし、色んな意味で彼女の思考の癖をしってからは、Kへの敬意も、「いいなあ」と思っていた気持ちもざーっと音をたてて潮がひくように消えていった。逆に考えると、この世の中は、自分の有能さをおもいきり鼻にかけてひけらかさないと、生きていけないくらいに厳しくなってきたんだろうか。あきらかに以前と違う。そうしないとならないその人達がますます醜く哀れにおもいはじめてきた。
こういう人たちというのは、一度おもいきりなにかで(色んな意味での)事故に遭って大怪我をするとか挫折をして初めて、気づくものなのだろうか。または一生きづかないまま生きていくのかもしれないが。そういう場合は身近な人達は被害を受けないよう注意する必要がある。
追加として、過去にこんなことをわたしは書いているが、自分の心の中を静かに誠実に見つめるなどという地道な思考をすっかり省略し、とにかくできるだけ得になることだけ考え、いろんなことを自分に有利になるようにできるだけ素早く計算し、ドン臭い他人を利用しつくし、お金(もちろん自分でなく他人が稼いでくれたお金であればなおさらのこと湯水のように使い)があればしっかりそれを使い、偽善とか欺瞞とか簡単にこズルく楽してウマーく生きていくという態度は、私の中では「男前」とは対局に位置するものなのだろうなと思った。
いろいろ考えてきたら、つまりそういう人たちのなかにあるものは、
自分自身の目的(EGO)を達成するのが最優先。
他人を少々傷つけても、他人のものを取ってもいい、という、傲慢さ(arrogant),
無神経さ(indezent)、敬意の喪失(respektlos) である。それがあるほうが、自分の努力に比例する以上に得をすることだろうから、楽と言っ
ちゃあ楽だからなんだろう。
そして彼らにとっては、どうでもいい他人(他人とみなした人たち)にいちいち気を遣うのが面倒くさいんだろう。わたし
は、それがわかってからはそういう人間からは
できるだけ距離をおき、決して「物の貸し借り、お金の貸し借り」はしないように、そしてこちらも「利用されないよう」に用心しようと思う。猫なで声ときれ
いな顔で近づいてくるが、それはあくまでも自分の目的を完遂するための手段に使っているのにすぎないからだ。
しかし気をつけよう。私自身
も、ついうっかり自分の無神経さでだれかを傷つけているかもしれないからだ。いつ誰かがわたしのために腹をたてているかも分からない。わたしも相当無神経
な発言をするほうで、よく親たちから注意を受けていたからだ。人のふり見てわが振りなおせである。掃除も、一生懸命するのだが、なにせ、面倒くさがりなのでなかなか細部まで行き届かない。。。。。でもそれを自分でも分かっているので努力するまでである。
ありがたいのは、私の大切な家族のなかには、こういう人間がお陰様で、存在していないことだ。(いまのところは・・・・・!)