勉強しなくちゃとおもえばおもうほど、本が読みたくなる。
それでいっそドイツ語でよもうとおもいたち、最近は、テスト準備の息抜きにドイツ語の本を読んでいる。
新聞をよんだりするだけでは、あまりにも無味乾燥で、殺伐としてきて脳軟化症になるきがする、、、、、、、!
それも同時並行にこれらを。大事なことは訳本があること。それがあってはじめて自分勝手な読み方にならずに、きちんと読むことができる。とにかく語彙を増やさないと。私にはとにかく語彙がたりない!
これは大学で学ぼうかというひとにとっては致命的な欠陥なので。
1)Agotha Kristof ”Gestern”
2)BernhaldSchrink ”Vorleser”
3)C. Bronte ”Jane Eyre”
4)”Aarai Satoshi” die Erlebte Zeitgeschichte”
幸いにもこれらすべて、訳本があるので”え?”とおもったらさっと参照できる。これは独りよがりの読書にならないためにとても大切なことだと、以前ドイツ人のタンデムの
ほかには社会学を専攻するよていなのでその傾向の新聞記事その他を探しまくって読んでいる。
同時並行でいろいろ読んでいると、あたまがおかしくならないかと相方によくいわれるが、このほうが逆におもしろいのだ、
上記の本たちはわたしにとってはいわば、ハードロックを好んで聞くのと同じ意味合いをもっている。
私がハードロックを聴いたり、ロックバンドの真似事をしたりしているのと同じ、自己表現のひとつなのだといえる。これは最近きがついたのだが、
人は本をえらぶことですでに他者との差異を求め、それによって自己表現をしているのだとおもう。ちょうど外出するとき、TPOにあわせて服を選ぶよう、私も時々に応じていろんな本を同時並行でよみたくなるのかな。
(この町は首都だというのに、ヨーロッパでも指折りの、衣服に気を使わない民族の国だし。、
ここ最近は仕事らしい仕事をしていなくて大学のコースに通うだけだから、好き勝手な服装をしているが。学校が終わったらそのままProberaumに直行できるような、タイコたたきにふさわしい黒っぽいシンプルな格好を、ドラムはまさに肉体労働に他ならないからへたにおしゃれな服装をしたりすると、洗濯やアイロンや服を傷めないかとかいろいろ気を使ってしまってドラムに集中できない。)
読書で大切なことは、深く読むことで人間理解を深めることに他ならないが、それらの本を手にすることですでに自分の内面の一部を表現していることになるということは、自分でというかそれとなく気づいたのだが面白いとおもう。
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