名古屋時代、新聞店の寮に住み込みで学費を稼ぎながら通学していた頃、いわゆる新聞奨学生をしていた。

中日新聞であり、朝刊夕刊集金で各々約300件近くあり、全国的にも名のある無線関係の学校に通いながらのこと。

新聞店には新聞店夫婦の家も寮もつながっており、寮は3人暮らしで私が一番歳上で、朝夕食は新聞店の家族と共にいただき、名古屋の新鮮な生活を皆大変だったが、毎日和気あいあい辛いことももちろんあったが楽しくさせていただいた。

奥さんの母、つまり80代前後の元気なおばあちゃんも共に暮らしており、いつも夫の愚痴を私だけに言っていた。ある日の休日、滅多に連れて行かない二階の自分のおばあちゃんの部屋に招かれ、うる覚えではあるが、いろいろ自分の人生を長々話していただき、食べ物を頂戴した記憶がある。そして満足した思いで部屋に戻って、勉強を再開したのかな?そのような記憶がある・・・

あれから15年、おばあちゃんはどうなっているのだろう・・・・元気な高々な声が未だに心に残る・・・

「おばあちゃん、私はあれから紆余曲折してしまったけど、元気に暮らしています。どうか、またいつかお会いしてお話がしたいですね!」

・・と言いたく強く思う・・・・