私がこの世に生誕する前に思っていたことの一つとして書いていきたい。



今(生まれる前)は「自由」であるが人間として生まれれば一つの「個体」として生きていかなければならない。



今は自由であるが、人間として肉体で生きていくことは肉体と肉体同士の「共有」であり「責任」。



今、自由であるというのは目先のことを気にする必要もとらわれる必要もなく、今はすべては「思い」だけで生きられる。



今、自由であるというのは俗にいう「霊体」であるということ。



「思い」つまり霊体はやりたいことが自由にできるということ。しかし肉体が与えられれば共有していかないといけないし、また目先のことも考えていかないといけないから囚われは一番危険だということ。



「囚われ」には霊体の囚われと肉体の囚われがある。霊体の囚われは思いは自由であるから、例えば一つを思い、とことん進んでいったら戻ってくることに切り替えることに、時間がかかるということ。その点肉体は、行動を興し考えることによって容易に切り替えることができるということ。



肉体の囚われの危険とは、「批判」によるもの。肉体という個体から逃れることはできない。だから批判によって個体に閉じこめられた霊体は、生きているという責任を全うすることと放棄したい思いとの交錯によってもがき、他の肉体からの囚われにより捕らえられていくことが一番危険なんだ。なぜなら、霊体が肉体に宿った本来の意味(思い)が消えてなくなるから。



だから、思ったことを実行できるというのが肉体と霊体にとって一番健康的であり、バランスがしっかりしていれば着実に壁を乗り越えることができ、やりたいことを着実に成し遂げていけるということ。これが本来の姿だ。



「心が病んでいる」とよくいうが、それは肉体と霊体のバランスが囚われによって肉体が捕らえられている状態のこと。だから心を空っぽにして、大胆に生きていくことが一番健康的であり自然の姿なんだろう。




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