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石垣島はようやく静かに朝日が姿をあらわしつつ、今日という一日が始まろうとしている。デビッドボウイのスターマンを聴きながら、私も静かに朝を迎える。



我が人生に期待していながらも、心の重さを感じる寝起きでもある。



来月にはいよいよ祖父母のいる西表島に越して家業を引き継がないといけない。祖父母のために親孝行せずに死に別れるのがたまらなくツラくて、思い切って東京の仕事を辞め、八重山に来た。



観光として訪れるなら大自然豊かな島なのでわけが違うが、永住となると次元は全然違う。(この島を愛している人たちにはあくまでも一住人としての気持ちとしてとっていただきたい)



かつてこの島は炭坑で栄えていた。本土の企業がこの島で炭坑を興し、本土から人材も多数送られてきた。



しかし現状は過酷きわまりなかった。給料は金券チケットだけであり、しかも会社内でしか使えない。売店があったようだ。また、簡単には辞められなかった。



そして島から出ることは断じて許されなかった。見張りもいた。お金もなく大した船もなかったから、泳いで逃げようとして潮流に流されて死んでしまった人や自殺した人や病気でほったらかしにされた人など沢山いたようで、実に残酷な歴史があったということだ。



私は「呪われた島」と心のどこかでそう感じている。



今現在、島での生活に憧れて来た本土の方々が大半を占めている。中には「イヤなこと」があってこの島にやってきた住所不定の人も多く、ちょっと身が引ける。



私が住む部落は少世帯であり、住人全員が公民館活動の役員に選定される。しかし重いどもりの私には任されることはない。字の書けない勉学に無頓着な人が選ばれる。それほどコミュニケーション力を重視する。どもりにはかなり居ずらい部落である。



物資は船で運ばれるため物価も高く、石垣島の倍の値段のものもある。一時ガソリン代が200円代を突破したようだ。



生活が慣れてくると、どこを見ても緑と青しかないので(山と海)、非常に孤独を感じてしまう。最初は感動するが、だんだん都会の活気がなつかしくなる。



今日のブログは愚痴が出たようだ。。。



さて……、朝日は完全に宙に舞った。昨日沖縄では31度の真夏日となったようだが、今日も焼き付くように暑くなりそうだ。未だカーテンを閉め切り、冷房をかけた部屋では信じがたい。かすかにもれる朝日の日差しがそう物語っている。






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