考えがないと人は自分の失敗を他人のせいにしようとする習性がある。



今ある環境も元をたどればやっぱり自分の選択にあるんだ。人生を重ねれば重ねるほどうなずけることではないかな。



そもそも人は自分の肉体を与えられ、この世に暮らすことができるようになった。だから自分の肉体をどう活用して生きていくのかには自分がしかできないことなんだ。他の人がそうしろと言っても最終決断は己にある。






そもそも私は、この世に在する前に、どの世界に生まれるかの選択肢に直面したことをなんとなく覚えている。



無数に光り輝く星があって、私は再び経験したいと思い、その周りを漂っていた。



一度か二度、近づくとなんとなく見える星もあったが、西洋だったような気がする。しかし迷いつつ、入ろうとは思わなかった。



しかしいつまでもこうしてはいられないと、「ここだ!」と決めて、行けばわかる、と思いつつ、その星に飛び込んだら母の胎に宿ったんだ。



肉体の死語、あの世での「思い」もなんとなく覚えている。肉体が生きてる間、重ねてきた恥じらいや失敗がどんなに小さなことだったのかと。死んだらすべてなくなってしまうことだから、今思えばやりたいようにやればよかった。



あのときああしてたら相手はどう反応し、関係がどう違っていったのかも振り返り、観ることができた。



ただしかし、、今までの私はその反省が全く活かされず、いつもそうしたいと願うが恥じらいと失敗におののいている。
……





………このまま、死ぬわけにはいかないだろう。と涙ぐむ。