盛岡、遠野、気仙沼、一ノ関、石巻・・・
先週、東北の東側を初めて訪れてきました。
東日本大震災の影響は十数年経ってもあちこちで見受けられ、初めて歩く身にも無言で迫ってきました。
形あるものは目に飛び込みますし、話を聴く方からは昨日のことのように言葉が溢れてきます。
私の印象に残ったことの中で、ひとつだけ挙げるなら、防潮堤です。
その前に…
防潮堤が作られたリアス式海岸に沿って走る気仙沼線は、気仙沼駅から南がバスになっています。「気仙沼線BRT」と呼ぶのですが、この始発に乗ろうとして気仙沼駅前でどうしてもバス停を見つけられませんでした。
早朝で誰もいないし、焦って駅舎まで行って中を見回していると、改札の向こうにバスの表示があります。
無人の改札を抜けて入ると、そこに線路は無くアスファルトの道路になっていました。
そうなんです。線路だったところを道路化し、そこにバスを走らせているのです。
普通の道を走ると思い込んでいたのですが、まさか改札の先にバスがいるとは…
まさに電車の代わり。まんま線路の道を走っています。
バスの向こうには、本当の気仙沼線(電車)のホームがあります。
走り出すと、まさに線路と枕木、砂利を取って道路にしたことが分かります。
フロントガラス越しに見えるのは、両側が草地や森の中の狭い単線の軌道を走り抜ける、まさにローカル線の車窓風景です。一瞬、脳がバグりました。
ほどなく海沿いになった時に、白いコンクリートの防潮堤を初めて見ました。台形で裾面積の広い巨大なものです。
道の高さにより、海が見えることも見えないこともありますが、とにかくその防潮堤が果てし無く続いているんです。
あとから調べたら、宮城県は230km以上の防潮堤を改修、建設しほぼ完成したとのことでした。川の護岸もコンクリートで固められ、バスと海の間には白いコンクリートしか見えない場所もたくさんありました。
防潮堤を建設したという知識と、1時間半以上乗ってもずーーっと防潮堤が見えていたという衝撃体験は、全然別のものですね。
ここまで徹底的に作ることにした、その起きたことの大きさを、こんなことから感じました。
バスは、高台にできた南三陸町役場や災害復興住宅、分譲地などの新しい町を経由して、石巻市に近い終点に着きました。
本当は東北で食べたソウルフードのことを書きたかったのですが、最初に震災のことに触れたらここまできてしまいました。
写真は盛岡の「キムチ納豆ラーメン」
有名なのは冷麺やわんこそばと思っていたけど、行く前に勧められて食べたら、とても美味しかった。地元では40年近く愛されている「盛岡○大麺」のひとつだとか。知らんけど。
味噌󠄀ベースのスープにキムチと納豆が溶け込んでいて、形はありません。それが驚き。
トッピングはネギ、もやし、コーン、生卵など。普通の味噌󠄀ラーメンにも感じるのですが、スープにあのクセのある発酵食品がふたつも混ざっていることで複雑でコクのあるスープになっています。
しばらくしたら、また食べたくなる。そんな中毒性のあるラーメンでした。
最後に食レポできました。
もっとあるんだけどね。クラフト🍺も。
タイトル写真🍜見て読んだ方すみませんでした。
それでは。