最近、刑事裁判のニュースが多いが、


どうしても、被告人を「被告」と呼ぶことに違和感を感じざるをえない。


民事は被告で、刑事は被告人、

違う概念なのに、

同じように使う理由がわからん。



きっと何か積極的な理由があるのだろう。



最近マジでブログに書くネタがないほど、

同じような毎日を送っている。


朝起きたと思ったら、いつの間にか夜になっているっていう。

さらにいえば、月曜かと思ったら、金曜になっているっていう。


ある意味これはいいことだ。


一時期、時間が経つのがやたら遅く感じられたが、

今考えるとありえない感覚だ。




ブログを書くネタがないというか、

ネタを考える契機がないというか。



喜怒哀楽でいえば「怒」が数少ない感情の発露となっている。

その点で、自分の人間の小ささを実感せざるをえないが、

生きているという実感も同時に与えてくれる。



「怒」とは、自分を客観視する機会を与えない。

むしろ、その点で、俺は怒っている自分が好きだ。

なんとなく落ち着く。


今までの自分を客観視すれば、悲観そのものであるが、

過去を忘れて、将来にエネルギーを注ぐ。

それが、「怒」の良さだと思う。



また、「怒」の感情は、ストイックな行動を伴う。

つまり、「怒」の感情が高まれば高まるほど、

自分に対して厳しくもなれる。



ここで、「怒」の感情とはどのようなものか、が問題となる。

一般的に怒るのとは、なんか違う感じがする。


一つの物事に集中して、ほかのことに目をかけない感じ。

まさに、一心不乱の状態か。



つまり、「怒」の感情とは、一心不乱の状態であり、

視野が狭くなることに劣等感を抱くものの、

逆に視野が狭くなることで、

道を開くことができるようになるもの、

って感じか。



この「怒」の感情は常に持っていたいものだ。

しかし、睡魔が常にこれを邪魔をする。


今は、そんな生活だ。

人それぞれお気に入りのカフェってあると思う。


一度いくと落ち着くというか、ほかのカフェだと逆に落ち着かないみたいな。



さらにいえば、お気に入りの席ってあると思う。図書館とかでも。


全席制覇したいなんて人は見たことがない。



それが、その人の「居場所」ってやつなんだろう。



特に、深い意味はないけど。


ただ、いつも同じ席に座ってしまうのはなぜだろうと疑問に思って。