近年、日本でも結論を先取りした議論が好まれるようになってきた。
そうした流れを受けて、やはり自分も結論を先取りしたわかりやすい議論を心がけるようにしたい。
まずは、問題提起。
ヒトは誰と闘っているのか。
そして、結論。
自分自身。
なかなかこの答にたどりつくまでに時間がかかった。
そして、さまざまな挫折の繰り返し。
さらに、まだ飽き足りないかのように、挫折が降りかかってくる。
とはいっても、実際、挫折などしたことがないかのように感じていた。
とりあえず人生20年の目標は達成したのであるから。
ヒトは何が挫折なのかわからないうちは挫折はしていないといっていいのだろう。
全く前に進めなくなるような絶望感が挫折なのだから。
しかし、ヒトによって挫折の内容は異なるだろう。
恋愛に敗れるヒトもいれば、カネに敗れるヒトも。
俺もそうした社会に散在するひとつの壁にあたっていた。
ここでの問題は、その壁を避けるか、越える工夫をするかの二択である。
そして、俺はどちらかというと壁のない世界を模索していた。
壁のない世界などこの世には存在しないにも関わらず。
最終的には壁の正体は自分自身があるモノに投影されただけのことだったということに気づく。
そして、ヒトは自分自身を見つめることを避けたがる。
ここでいうヒトとは自分を一般化したいという願望も混じっているのだが。
では、ヒトは迫りくる挫折を目前にしたとき、何をしたらよいのか。
基本的にヒトは一度挫折をするとそこから回復する術を学ぶという。
ということは、挫折は恐れずともよいということなのか。
しかし、恐れないものは挫折とはいわないだろう。
これは挫折のジレンマだ。
そもそも、恐れるものが挫折である以上、
挫折を避ける術をヒトを学ぶ必要があるのだろう。
しかし、往々にして挫折を避けられないこともある。
そのような時の対処が重要だ。
論理的なヒトなら、挫折を挫折としない、
すなわち、通常一般人が挫折と感じうべきことを挫折と感じない図太い神経を持っているのだろう。
しかし、神経など努力や精神で太くなるものであろうか。
それとも、ここでいう神経が「論理」なのか。
そもそも択一的命題か。
いづれにせよ、明らかに読書量が足りない。
読書量=人生観の数だと思うからだ。
人生を二度生きられれば、二回目のほうがうまく生きられるだろう。
それと同様に、本をたくさん読む人が読まない人よりもうまく生きられると思う。
ただ、ここでいう「生きられる」という表現はあいまいすぎだな。
しかし、俺は今答えを持ち合わせていない。
今回の議論は完全に主観そのものなので、全く理論的ではない。
ただ、そのようであるかのように俺には見える。
明日はどのような風が吹くのだろうか。