僕も関わっている「(一社)普久原未来のための事業団」。

戦争や平和を語り継ぐ活動」の一つとして「戦跡の声を聴くビデオ」の作成をしています。

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大分県宇佐市を訪ねました。宇佐市立四日市北小学校に二宮金次郎像が残されています。この像は全国の小学校に設置されました。戦時中は奉安殿と金次郎像がどこの学校でも見られたのです。陸軍の山縣有朋もこの設置を進めた一人です。造られたのは日露戦争後や皇紀2600(1940)年がピークでした。日本が戦争へ向かい始めたころです。軍事予算は増大します。日本は不景気に突入し、人々の暮らしが困窮し始めます。金次郎その人は質素倹約、努力家です。しかし、軍部や政府により、軍事利用され、生活において我慢をする模範とされました。皮肉なことに銅製の像は太平洋戦争末期に金属類として供出されます。石像やコンクリート製のものなどが残っているのです。また、戦後、復旧された像もあります。これは、押し付けではなく、学校としての自発的な像で、新たなスタートとして建立されたものです。四日市北小の像は皇紀2600年の物です。ここは、旧・日出生鉄道の沿線であり、また、陸軍特別大演習で昭和天皇(当時皇太子)が立ち寄った場所でもあります。宇佐海軍航空隊も3kmの場所です。

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(一社)普久原未来のための事業団(大分県別府市)は戦跡を訪れ、その声なき声を聴く活動をしています。戦争遺跡、軍事遺跡を巡りレポートしています。この動画シリーズはその記録です。平和教育、平和学習にもご利用ください。

 

 

 

下記クリックでyoutube動画をご覧いただけます。

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「戦跡の声を聴く」シリーズはこちらです

 

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