荘園領主に母方々の名前がありません。
荘園領主自体の名前が佐野庄の乱にも
領主の名前がないは、おかしい事です。
思いきって宮内庁に電話して見たら
母の名字を言ったら直ぐ知りませんと切られ
ました。普通は、要件ききますよね。
詰まり知っているという事だと思いました。
当主も惚けている事と母親の戸籍を見ると
近隣の県しか親戚が載っていません。
しかし、荘園領主が関東一帯、甲信越地方、東北地方に皇子が居なく全て氏族なんですよ。あり得ません。当主は全て隠していますし朝廷を嫌がっているのは朝廷は豪族の頃、山菅豪族と不可侵条約を破りし進軍さてきてお詫びつもりで皇子の身長位を与え五七桐家紋を承りましたが、やはり領地にこだわり朝廷に逆らっていたし、今でも両朝廷にはいい思いしておりません。やがて徳川幕府により領地は狭くなり大地主には代わりありませんが、明治から敗戦迄更に狭くなり敗戦後農地改改革で、小作にも居なくなり土地も山も取られ尚かつ税金もかかるので、私が産まれた頃は町名も葛生と代わりましたが、現在は佐野市山菅町何番地と代わりほんの一角となりました。家と土地はありますが、当主は小山でレストランを営み、家は石火が取れる事でトラック運転手達に家を貸しているとの事。唯一豪族として残っているのは山菅豪族だけでしょう。他の豪族の様に領地を侵略せずひたすら守り抜いたからです。