伴八四はめったに笑わない男である。大人になってからはいっそう、自他ともに認めている。彼はおかしいときは、形のいい唇端を右か左に寄せることでもっての「笑う」しぐさが板についている。眦にもほんの少し笑みがやどる。家庭環境がよくなかったせいか、物心ついて以来声をあげて笑ったことがない。周りからは奇異な子どもに見られたことだろう。が、このことは逆に彼を強くさせたようである


ある日、駅前の小さな広場でストリートミュージシャンたちが演奏していた。周りは人だかりでいっぱいである。その曲には聞き覚えがあった。以前八四が作曲したもので、当時はまったく売れなかったやつだ。作詞が変わったせいか、とても心地よく胸に迫ってくる。となると作詞家は誰なのだろうと思ったが、あの時点ですべてを放棄しているのでもうどうでもよかった。それからしばらくして大手のレコード会社経由でテレビ放映され、あっという間に有名になりCDなどが完売したようだ。彼は悔しさをかみ殺したような笑みを唇端に寄せた。そしてもう少し頑張ってみよう、と再び作曲作詞活動を再開した


八四には好きな女性がいる。よく笑う、あけっぴろげな性格を有している。彼を心底笑わすことはあきらめている。それ以外のことなら許容範囲内なので、すぐにでもいっしょになる覚悟はできていた。もっとはっきりいえば、彼が声をあげて笑うことができたら押しかけ女房になろうと目論んでいる。それほど彼は優しい男だと思っている


寺崎とみ子は乳製品関連会社の開発部門で働いている。ある日新聞に「人間由来smile gene(スマイル遺伝子)を発見」と記事が掲載された。彼女はとっさに考えた。それを乳酸菌に「組み込む」ことを


それから一年後「スマイルヨーグルト」は問題なく完成した。ブランクのあった八四も「triste soleil 」という新曲を発表して、じわじわ世間の耳目を集めている。現在アリコンランキング3位の位置を維持している。声をあげて笑うには、あと一歩である。とみ子はとりあえずスマイルヨーグルトを彼に食べてもらった。彼は形のいい白い歯をだして、微かな声をあげて笑うのみだった


しばらくして、巴里での世界的なアグノーベル賞をとみ子が受賞した。それはスマイルヨーグルトの作成発売に対してであった。と同時に八四は、世界アリコンランキング1位を達成した。奇しくも二人は巴里にいる


夜のセーヌ川の畔で互いに声をあげて笑った。このときはスマイルヨーグルトは食べていない。シャンパンで軽くお祝いしただけである。とみ子はほんの少し落胆したが、八四から求婚された。そのとき、偶然にも大きな花火が始まった





◾️憩いの準動画


セーヌ川の畔で





◾️出典:いらすとや、Yahoo画像





◾️お楽しみいただきまして、ありがとうございました。次回作は暇がかかるかもしれません