民鉄の覇者 東京急行電鉄 98、五島の日課 | 犬と楽器と鉄道模型

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五島は71歳で脳溢血に依る半身不随になる前は健康には究めて留意していたと言う。
毎朝4時から5時に目覚め、ラジオのニュースを聞いた後、起床した。

 

2時間の散歩は、
「雨が降ろうが、雪が降ろうが、毎朝の散歩は欠かさない。
散歩をすれば血が足に下がる。
スッキリとした頭に事業のプランが自然に浮いてくる」

 

この早朝の夢は必ずどんな手段を講じてでも実現させてみせる。

又、約1.5㎏の木刀の素振りを150回していたらしい。
その後は先祖の霊に祈念すると言う日課であった。

 

朝の出勤である。
五島は健康時には上野毛の自宅から渋谷の東急本社まで歩いて通っていた。
社員達はその道筋を「上野毛天皇行幸道路」と呼んでいたと言う。

 

そして、東急本社だ。
長男、社長である昇を始め、関係会社の幹部が一堂に会する部課長会議議事進行は全て五島自らやる。

御年、糖尿病から手足は不自由となるが、意識ははっきりしている。
精神もありふれたままだ。

声は大きく、隅々にまで五島の声は響く。

 

 

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【東急本社「現在」】


早朝の事業の夢は、ここで部下に伝達されていたのであった。

窓を観ると東横百貨店、プラネタリウムがある東急文化会館と東急の象徴である建物が並んでいる。
主に東急が開発した渋谷一帯が見渡せた。

 

そして街づくりに関しては、良くこんな事を言っていた。
「アパートを建てる。
学校を作る。
これはわたしの念願だ。

 

アパートは家の無い人に安楽な住まいを与える。
そうすれば通勤通学の電車ももうかる。
学校は次代の人物を養成する。
そして東急に優秀な人材がふえる」

と・・・

 

 

この記事は2015-06-02
yahooブログにて掲載していました。