民鉄の覇者 東京急行電鉄 91、第二次伊豆・箱根戦争⑨(道路売却) | 犬と楽器と鉄道模型

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西武側の自動車専用道路湖畔線は、湖尻と元箱根を結ぶ県道が併走していた。
しかし、その県道は道幅が狭く不便であった。


しかし、湖畔線が敷地を一杯に使用した上、石垣を設置した為、県道は拡張工事が出来なかったのである。

 

当然ながら、西武側の湖畔線に対し県議会で問題視される様になった。
神奈川県に依る自動車道の買収の話が上る様になったのである。

 

それで当時の神奈川県知事であった内山岩太郎は現場へ視察に行く事になった。
知事が観ても、この県道の改修は困難であった。

だから内山は「半年以内に湖畔線を買収する」と答弁した。

 

さて、自動車道の買収案が上がると、元箱根の住民達からは「一刻も早く買収を」と意見が続出した。
しかし、今度は強羅地区の住民達は「湖畔線よりも早雲山線の買収」と言う意見が出る様になったのである。


更には箱根町の住民達からは「湖畔線と早雲山線の両方とも買収して欲しい」と言う要望が出された。

流石に両方は一遍には出来ない為、内山は先ず、県議会で湖畔線の買収予算を計上した。
更に早雲山線も買収する事も約束した。


1961年、湖畔線を買収し、県道として解放した。

問題は、早雲山線である。


この道路はドル箱路線であり、西武・伊豆箱根社内では「買収に反対」と言う意見が圧倒的に多かった。

しかし、康次郎は既にこの買収を予想していたのである。
更に内山を「総理大臣としてもやっていける人物である」と高く評価していた。


そして、康次郎の息子である清二もこの件には先の東急側に貸しを作るとの考えで賛成していた。

 

この百貨店業では余談がある。
西武百貨店の渋谷進出に対し報復として、東急百貨店が池袋進出と言う噂が立った。
西武側はこの事態を想定し、東急の進出を阻止するべく対策を取っていた所、康次郎は、
「何を狼狽えている!
良いではないか!
地域の活性化に繋がる」
と、歓迎の意向を示した。

 

しかし、一言付け加えるのを忘れなかった。
「但し、そうなった場合。
負けるなよ!」
と・・・

 

康次郎は神奈川県からの自動車道買収の申し出を受諾し、早雲山線も売却され、県道として解放されたのであった。

 

 

この記事は2015-03-17
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