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 ダライ・ラマ14世 の言葉”人生の目標は、幸せになることです。”を実現するために生きています。
 もっと簡単な言葉に言い換えれば”一人じゃ幸せになれないから誰かと出会うために生きている”んだと思います。

 じゃぁ、”幸せってなんだろう?”という話になりますが、幸せの形は人それぞれです。
 私の場合は、美味しいものを食べたり好きな小説を読んだり、音楽を聴いたり演劇を見たりすることが幸せです。その幸せは、美味しいものを作ってくれる人や物語や音楽を作ってくれる人がいないと成り立ちません。そして、それを共有してくれる友人であったり、その場を共有してくれる人たちがいるともっと幸せだと思います。



 ぶっちゃけ生きていて辛いこともあるので死んでしまいたいとか消えてしまいたいとか多々思います。ただ死んでしまうとそこで終わりになっちゃうだけなのです。

 私の身近な人が何人か自死されています。
 その人が生きていれば自分の娘の花嫁姿を見ることもできたし、孫を腕に抱くこともできたのに自死してしまったばっかりにそこで終わってしまいました。
 別な方は、大事な子供の成長を見ることなく自死しました。

 命日が近づいてくるといつも”そこで踏ん張って生きてくれてれば”といつも思ってしまいます。


2008年03月01日 01:26作成レビュー
自殺のサインを読みとる 改訂版/高橋 祥友

 この本を読むまでは、死に向かう人を止めることは出来ないと思っていた。
 本を読みながら考えを改めなければいけないと思った。
 止めることが出来ないと思いつつも死がちらつく人の心を少しでも生きる方に傾かせたいと行動している自分もいる。
 一重に自分と同じような人を増やしたくないから。
 もう身近な人が自死するのを見たくもないし、残された人々を見たくないから。

 私の場合は、残された側の人間。
 あれから20年以上経つけれど未だにPTSDに悩まされています。
 普段は至って普通に生活ができますが、ほんのちょっとしたことで前後不覚になります。
 あの時の風景を思い出すような初夏の綺麗な夕日。
 タートルネックの服。
 ふとんを首に掛けて寝れない。
 以前、中学生の息子さんが首つりで自死された方がテレビで報道されていた時に息子さんが 使ったロープがテレビに映った瞬間にフラッシュバックに襲われて数日間、前後不覚に陥ったこともあります。
 喪失感・焦燥感・虚脱・注意力散漫・不眠…。
 自分を責める。
 自分を許せない。
 笑っていいのか?
 食べ物食べていいのか?
 幸せになってもいいのか?
 生きていていいのか?  
 心の中が死に捕らわれる。
 でも自分が自死を選ばないのは、年老いた両親に再び同じ悲しみを味あわせたくないという一心で踏ん張っています。
 本の中には、近親者に自死した人がいるかいないかで自死率が3倍もの差があるとあり納得する自分がいました。

 自死は、とてもデリケートな問題かもしれない。
 だからと言って、見ないふりやなかったことにする風潮のある日本。
 はたまた自死を美化する日本。
 ニュースの自死の扱い方。
 もう少しどうにかしてほしい。
 この本が書かれたのが2001年。それから8年。
 ニュースでネット集団自殺の報道の仕方は、まるで群発させたいんだろうと思わせるような仕方がムカついた。
 死に行こうとする人を生きる方に向かわせるような報道をして欲しい。
 うつだから自死する。
 病気だから自死する。
 不況だから自死する。
 いじめられたから自死する。
 そんな単純なことだけが自死する理由じゃなく、色々なことが複雑に絡み合って死に行こうとしている。
 単純化するのだけは、やめてほしい。

 「死にたい」と言葉を発している人は、死なないという人もいるらしいけど、それは最後のサイン。
 サインを出さないまま死に行く人もいるけど…。
 サインを出しているということは「生きたい」ということ。
 サインを受け取ったら些細な会話で構わないからスルーせずに話を聞いてあげて下さい。