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キリスト教で捧げられる
祈りのフィールドが
強く濃くなっている、待降節第2週。
日本の古代文献について
書かれた本に出会う。
その中に「天と宇宙」の違いが
書かれてあった。
認識を
より正確にする必要があったようだ。

天:エネルギーの状態(無形)
地:宇宙

ビッグバンの仕組みから言っても
確かに、
地には 宇宙も含まれる。
宇宙はエネルギーから
発生しているのだから。

天が「エネルギー」を
指す言葉であるなら
スピリチュアル本で出てくる
「全ては有る。」という認識も
理解しやすくなる。
科学の世界でも、
ダークマター・ダークエネルギーが
宇宙の80%以上を占めている
といわれている。
(ダーク、の意味は、
現在人類によって解明されていない、
という意味である。)
数学も
「行き着く先は答えが無数もある」
世界に行き着く。
最近よく聞く
「シンギュラリティ」は
組み合わせによって生み出されたモノ同士が新たな組み合わせを生むことによって、膨大な数のモノが生まれる現象だ。
それは広大な宇宙の地で
常に起こっているであろう
元素や
化学物質の無数の結合を想起させる。

そんな世界がある事を知ると
「無から有」という考え方が
ひっくり返ってしまうのだ。

全ては有る。天に。

天、という言葉は
キリスト教ではよく使われる言葉。
今までは「宇宙」という
イメージだったが、
それが更に拡大し
より詳細化した形だ。
天、という言葉が
エネルギーを指すとするなら、
私たちが暮らす世界にも
充満し、絶えず循環しているし、
常に「宇宙」から供給も受けている。

そんなことを日本の古代文献に
関する本から
気づかされたのだ。

やっぱり、神仏に垣根はない。
どころか
見事に補完し合い、
真実を伝えてくるものだ。

19歳の頃、
「全ての宗教は同じものを見て、
それぞれが知ったことを
それぞれの表現で、
伝えているだけではないだろうか。
と感じ、当時お世話になっていた教会の
伝道師さんにその事を伝えた。
「ありのまま神様を信じなさい。」
と返された。
それが、キリスト教を離れる
きっかけとなったが、
その感覚が正しかったことを知り、
日本古来の神道も
日本で育まれた仏教も
大切にするようになった。

「キリストも釈迦も孔子も敬いて
神の道をぞ尊ぶ」

改めて、この御歌を思い出すと共に
今回の待降節のメインガイド「奇跡のコース」の一節に思いを馳せる。

Light does not attack darkness, 
but it does shine it away.

(抜粋: Schucman、Helen. “A Course In Miracles.” White Crow. iBooks. )

闇に振動を加わわると、
光を発し始め、膨張し、溢れ出す。
闇が光に変わった状態を
「次元が上がった」と呼ぶ。

だから、光が攻撃することはない。
ただ振動を送り出すだけで
充分なのだよ。

そんな気づきもそっと現れ
添えられた。