「まるで、聖母マリアのエネルギーが降り注いでいるみたい…」

この風景を目にした時、思わず出た、そんな独り言。
今日は満月。

これからの地球、人類の進化に不要となったエネルギーが宇宙の源に戻っていく日。
自分が感じた この、癒しのエネルギーが、

世界に、特に癒しを必要としている地と人々に届きますように。」

と、祈らずにはいられませんでした。

 

祈りが日常にあると、こんなことは茶飯事。

ふと目にした風景からエネルギーを感じ、受け取り、

自分が感じたエネルギーを言葉にし、

それを自分から世界に流すのです。

 

聖書の中にこんな言葉があります。

はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。
言葉は神と共にあった。
万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。
言葉の内に命があり、命は人を照らす光であった。
その光は闇の中で輝き、闇が光に打ち勝つことはなかった」
(ヨハネの福音書1章)

 

言葉は光というエネルギーをヒトが採取して、それを物質化したもの。

そう考えると、この言葉の意味が深く理解できます。

とするならば、

私たちの周りにみなぎるエネルギーを

私たちは知らない間に採取して、いつも物質化し、周囲に送り出している。

ことばを通じて。

 

せっかく送り出すのなら、

美しいエネルギーを送り出したい。

 

言葉はそのはじめの一歩になるものであり、

祈りはその中でも、最も美しい言葉の使い方ではないでしょうか。

 

もし、美しい風景や心打つ何かに出会ったとき、

その思いを祈りに変えてみることをおすすめします。

 

一番簡単な祈りは

「この美しいエネルギーに出会わせてくれて、ありがとうございます」

です。