ある日、ネット上で、生駒山天文博物館の昭和和35年頃の写真を見つけました。懐かしく、半世紀を隔てて思い出が走馬灯の様に蘇りました。

戦前、航空灯台として建設されたそうです。ビルの10階位の高さがありました。 写真の当時は、近畿日本鉄道の博物館施設として公開されていました。塔の屋上まで上がれました。望遠鏡を持ち込んで観測もできました本館内は博物館で、天文関係の機器や写真展示、太陽コロナやプロミネンスの簡単な動画が見られました。

塔の天井から、博物館一階の床まで螺旋階段を貫いて、フーコーのながーい振り子が吊るされて、ゆっくり揺れていました。振り子のワイヤーが階段手すりから近く、必ずと言っても良いほど、誰かがいたずらで触るのであまり正確な実験にはならなかったと思います。

60センチ反射望遠鏡をおさめた大きなドームと、博物館の玄関前に置かれた直径5㍍ほどのパラボラアンテナ型太陽光集光装置(太陽熱実証展示---焦点にアルマイト製の水を入れたヤカンが吊るされ、盛んに湯気をだす。)が目を引きました。15人くらい入れる小型のプラネタリウムも人気でした。

中学一年生の時、美術の授業で「宇宙についての空想画」を描きました。20点位が入選。自分の絵が選ばれて、この天文博物館のピロティに展示される事になったのですが、神戸のアメリカンスクールの生徒たちとの共同展示。交流会が有って、話は今一歩通じなかったのですが、ワイワイ楽しい時間を過ごしました。

  中学3年生のころ、生駒中学の理科クラブの友人と二人である夏の週末に泊まり込みで天体観測にいきました。理科クラブの顧問でもある、この施設の主任研究員(生駒天文協会)の浜根さんのご厚意で、反射望遠鏡を覗かせて頂きました。土星の輪の美しい縞模様がはっきり見えました。プレアデス星団の青白い無数の宝石の輝きは50年近くを経て今も目の奥に残っています。「(反射望遠鏡の先を)軽く少しずつ振ってもいいよ。中心の明るい星以外にもたくさんの星が集まっているのがわかるよ。」と、浜根さん。

   この望遠鏡は、直径約60㎝の赤道儀。鏡筒に覆いはなく、スチールパイプのフレームだけでしたから美しい鏡面を間近に見ることができました。輸入された中古機で、元々は、高緯度地域おそらく英国に設置されていたとのことでした。本体の台座は、赤道面の角度調整のため10度位の斜面を持つ鉄筋コンクリート製の基礎の上に設置されていました。当時から既に年代を感じさせるものではありましたが、自動追尾装置付で、高分解能を持った優れものでした。昼間、大阪港の埠頭に停泊する貨物船のマストの旗がはっきりと識別できました。

  昭和44-5年頃、アポロの月面探査ブームのさなか、生駒山ケーブルカーの生駒山上駅のそばに近鉄が作った「生駒山宇宙科学館」の開設と前後してこの博物館は閉館になりました。友人と泊まり込みできたのは、その時はもうすでに閉館になっていたからかも知れません。浜根さんは、科学館の初代館長に就任されました。博物館のプラネタリウム施設は、生駒中学に寄贈されました。三年生の時の文化祭で、理科クラブの代表として浜根さんの本物の見よう見まねでプラネタリウムの解説をやりました。ちょっと天文オタクだったので、何とかなったのです。嬉しい思い出です。
  ところで、あのでっかい反射望遠鏡は何処へいったのでしょう。今も稼働していれば是非見に行きたいものです。この写真に巡りあえて、幸せな気分になりました。