6.7.9…「目に見えないもの」⑧
今日のFacebookに、
日野原重明さん(元聖路加病院名誉院長)さんの、「命は目に見えないもの」という意味のお話が載っていました。
…シェアも可能な様なので、チョッと長いですけど引用させていただきます。ご覧ください。
断捨離作業のため、UPが遅れました。よろしくお願いします🥺
【命とは君たちが持っている時間である】
僕はいま人生において最も大切だと思うことを、次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。
僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。
その一つとして僕は二年前から二週間に一回は、小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に四十五分間の授業をやっています。
〜〜(中略)〜〜
最初に校歌を歌ってもらいます。前奏が始まると子どもたちの間に入って、僕がタクトを振るの。すると子どもたちは外から来た年配の先生が、僕らの歌を指揮してくれたというので、心が一体になるんですね。〜〜(中略)〜〜
僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。
難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。
でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」と言ったら、全員が挙げるんです。
「では命はどこにあるの」って質問すると、
心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。
僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、このように話を続けるんです。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。命とは感じるもので、目には見えないんだ。
君たちね。目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。
空気見えるの? 酸素は?
風が見えるの?
でもその空気があるから僕たちは生きている。
このように本当に大切なものは
目には見えないんだよ」と。
それから僕が言うのは
「命はなぜ目に見えないか。
それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。
どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか、しっかり考えながら生きていってほしい。
さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい」ということです。
僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。
そこには、「寿命という大きな空間の中に、自分の瞬間瞬間をどう入れるかが、私たちの仕事ですね」と書かれていた。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。
あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。
僕自身のことを振り返っても、
十歳の時におばあちゃんの死に接して、人間の死というものが分かりました。
子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。
日野原重明さん 2017年(平成29年)7月18日没
(『致知』2008年12月号 特集「心願に生きる」より)