6.2.27…「いまここで生きる」⑤


仕事のことを、昔は「お勤め」と言っています。最近は、お勤めという言葉を使わなくなっていますが、、、


お勤めするという言葉には、それは、自分勝手にはやらない、嫌でも努力するもの。自分の好き嫌いでするものではないということが含まれているでしょう。


「勉」「務(任務)」という名前も多いと思います。

……一生懸命・一所懸命「つとめる」子になって欲しいという親の願いを込めて付けた名前だと思います。


「つとめる」と言うことは「仕える」こと、仕事に、事に仕えるということ。

仕えるということは、会社や上司に、自分が役に立たせて貰おう、相手に歓んで貰おうという意味を含んでいます。


また、「はたらく」とは「はた(傍)を楽(らく)にすること」と言われるように、「自分のため」もありますが、「はた(傍)=周りの人たち」のためにするというものでもあるようです。

傍が楽であるように務めるということ、「楽」しくするということも含まれていると思います。


その意味で、「自分が楽しく」ということもありますが、「人が楽しく」なるような営みが働くということに繋がるのかと思います。


働くと言う字は、先程も書きましたが、人偏に動くと書く、人が動くのをあえて働くと書く。

周りの人達に楽をして貰うためにそれを勤めとする、役に立ちたいということが含まれています。

この字は「和字」と言われていますが、日本人は心を大事にしてきたことの現われだと思います。


「世のため、人の為、ひいては我が身のため」と昔からよく言われている言葉がありますが、「勤める・働く」という言葉は、その文字の意味するところからも解るように、昔から言われている意味合いと同じだと思えます。

そして、それは「感謝」という気持に、繋がっていく様に観じています。


単に労働・働くということばかりではなく、広く大きく考えられる「世のため、人の為、ひいては我が身のため」働かせていただける有難いこと。

それが、「人として生まれてきた使命」なのだということ。


私たち市井の一庶民・大衆は、特段の「力」も「能力」も持っていないのです。

では、その私達一人ひとりが何が出来るでしょうか? 

今、みんなでそのことをホンの少し考えてみませんか!


「働くことは何のため」を、昼休みに職場の傍の図書館で見つけました。

その内容は、私が先に書いた「小文」の内容に似たものでした。

あらためて、自分の生き方を大きな目で見ることが出来る幸せを実感し、自信を持ちました。


著者の北尾吉孝氏も、この本の中で、「一所懸命に生きていくときには、何かに導かれている」と述べており、一所懸命推し進めていく中で「天命」を知り、「使命に生きること」だと述べています。


私自身一生懸命生きていく中で、努力し精進を重ねさせていただいている中で、「導かれて」と観じられるのです。

色々な関わりの中で、一連の繋がりがあり導かれていくのだと思わずにはおれません。

そして、有難いと観じています。


なお、付け加えれば、松下幸之助氏が「素直な心になるために」他多くの著書の中で、「利他の幸せに生きること」「素直な心で精進すること」の大事を述べられております。

稲盛和夫氏の著書「人生の王道」の中では、やはり「利他・世のため人のため、正道・使命に生きる」ことだと述べていると思います。


以上、色々な観点から見ても、勤めること・働くということは生きていくこと、それは「世のため(人のため・わが身のため)」に生きるという「使命」であり、そして、宇宙の理に基づく生き方でありるのでしょう。

勤め・精進努力していくことなのだと思います。あらゆることが、面白いようにこの一点に結びつくのです。(続く)