6.2.11…題名 幻冬舎「セカンドライフコンテスト」に応募作品 「ねむりたい」⑥
平成12年には、次男も成人しましたので、親権のことで争うこともありませんから、離婚を決意し、家庭裁判所へ離婚の申立をしました。
その三年前に、私はもう耐えられなくなって来ていましたので、家庭裁判所へ相談したことがありました。
その時には、「家庭裁判所は、離婚させるのではなく、家庭に戻れる様にするのが目的です。特にお酒が理由では飲ませる側の妻が、責められることになります。」と言われ、断念したのでした。
三年の年月で、社会情勢もかなり変わってきていました。
街角の交番には、「女性の安全相談所」と板に大きく書かれた看板が、出ていました。
三年後のこの時に、私はやっと離婚を決意し家庭裁判所に相談したのです。
そのときには、「よく辛抱しましたね。それらの出来事をできるだけ綿密にキチンと書いて、申立書に添付してください」と、教えてくださいました。
この時に私は思いました。何事にも、「時」ということがある、時が必要なのだと感じたのでした。
まさに、時が熟していたかの様に……。
そこで、私の手元にあるメモ等から拾い出して、思い出される出来事を膨大な資料に纏めて作成しました。(何故か手元にあったということ!不思議なのでした)
それも、仕事から帰宅してから夜の作業でした。
家庭裁判所の調停作業では、お陰様でとても良い調停委員に出会えて、速やかに調停を進めてくださり、無事離婚出来たのでした。
平成13年には、「第一回読売・日本テレビWoman,s Beat大賞」のノンフィクションの募集がありました。
そのキャッチコピー、あなただから語れる「今の鼓動を。」に、心を揺り動かされて、この時も無謀にも応募したのでした。
この頃もまだ仕事をしている時でしたから、夜中の作業でした。
平成14年から2年間は、私にとって長年勤務してきた仕事の、最後のご奉公でした。
小さな機関でしたが、私も課長職として庶務的な管理をしていましたので、夜も割に遅くなりました。
そのお仕事の2年間も終り、平成16年3月定年退職です。
引き継ぎ時は年度末です。
最後は諺にある様に、「飛ぶ鳥後を濁さず」とある様にと、懸命に夜遅くまで頑張りました。
私は、この職に採用された昭和37年から、42年間という長い時を経ていました。
就職活動もままならない中で、平成16年4月、本当に幸いなことでしたが、私は再就職できたのでした。
この職場でも、非常勤パートなのに、1年目に与えられた仕事は、とても勤務時間内では出来なくて、サービス在宅残業で夜中迄作業していました。(これは所詮、私は仕事することが好きなのですかね)
この職場は平成18年3月迄、2年間で終わりました。(続く)